時々、直面する困難な場面に出会った時に、手にする書籍がある。その書籍は、頻繁にというよりは、判断に迷ったりする時や人間関係に戸惑ったりする時に、私へ人生の指針を語り掛ける聖職者のような書籍である。何度となく持ち出され、旅行の時の気まぐれで鞄の中に放り込まれ、道中に付き合わされることもあり、そのくたびれ方も悲哀が漂う。
「学生に与う」と題された河合栄治郎氏の著作である。河合氏は当時の東京帝国大学の経済学部の教授であり社会政策・労働経済研究の第一人者でもあった。すでに絶版されているようで大きな本屋でも、ネット書店でも探し出せず、かろうじて中古本で求めるしかない。学生にこうあってほしいという氏の願いを込めたものでもあるが、広く働く人にも絶賛された書籍でもある。この本は、1940年6月15日に日本評論社から出版された。戦時下の統制が厳しくなる中、河合氏は1942年に一切の文筆活動を禁止され、43年には出版法違反にて有罪判決、翌44年に亡くなっている。
私は長い休暇の時期や、仕事での困難な状態、人間関係での葛藤の場面になると無性にこの本を想う。その中の第二部「私たちの生き方」の中に組み入れられている「日常生活」の項を読むのが好きだ。不規則になりがちな、仕事に忙殺されがちな日常の中で、人間的な営みのごく普通の生活の実践を励まされるのである。
そこに綴られている印象のある言葉にとらわれる。『・・・何よりも大切なことは一定の計画(プラン)を立てて規則正しく生活することである。プランをたてるなどとすると、縛られて窮屈だという人があるが、自分のプランで動いていない人は、多くは他人のプランで動かされているものである。・・・』と冒頭から手厳しい。その後一日の模範的な生活の組み立て方に続く。暴飲暴食をしてはなぜいけないかとか、スランプの時にはどうしたらいいかということにも触れている。経験則に従ったきわめて実用的な手引きなのである。
生涯の仕事をどのように積み重ねていけばよいか、キャリアを設計するということもある意味で窮屈な事でもある。しかしながら誰にも拘束されずに自らの意思をもって歩むということはすこぶる「自由」でもある。自らに課したプランや原理原則に従うことは、実は他人に自由を奪われないということである。窮屈なことも自分を感じる大切な時間でもある。
今から75年ほど前、国家のプランにも屈せず、言葉で自由を全うし、学生に語りかける愛情ある責務を全うするために信念をもって格闘した研究者の心意気に深い敬愛の気持ちを感じる。かつて河合栄治郎氏という人物が存在し、53年間の生涯を彼のいうところの自由を堅持し、生き抜いたことに励まされ、これからの自分のプランをどのように描き、周囲と調和をとりつつも自我を守り抜くかということを少しでも考えられる時間を取り戻したい。
今日一日が良い一日となりますように、悲しみと困難、不安に向き合っている方に希望がありますように。良い週末をお過ごしください。新しく始まる一週間が皆様にとって豊かな一週間でありますように。
竹内 上人