みなさま
一気に秋の気配を感じる冷気に包まれた朝となった。確実に季節は弛緩した身体を引き締めていく。
九段のオフィスの壁に新聞の切り抜きがピンでとめられてる。時々仕事の合間にぼんやりとその存在に目を向ける。ピンを外して読み直すときもあるし、自らが身を乗り出し、眺めることもある。
その切り抜きは、3年前に事業を始め間がない時に掲載された地方新聞の一面の最下部にある「斜面」という表題で日々掲載されるエッセイである。
朝日新聞の「天声人語」のようなものである。「天声人語」であれ、日経新聞の「春秋」であれ、時々、気になるエッセイは、私のデスクの横にしばらく張られるのだが、いつしか自分の中で整理され外されていく。
だが、なぜかこの切り抜きだけ、役割を終えずそのまま残っている。
『31歳の女性は夫の暴力を受け離婚した。事務仕事などで9歳の長女を養うが、手取りは10万円。娘の夢をかなえてやりたいが、この生活から抜け出せる方法がない。「私の元に生まれたせいだ。申し訳ない」子供を見つめては涙ぐみ、心の中で謝る。』
厚労省の平成27年の調査ではひとり親家庭の相対的貧困率は、54.6%に達する。相対的貧困率は、国民生活基礎調査の貧困線では年収122万円(2012年)と定められている。また、この層では約40%が非正規雇用となる。絶対的水準が低いことに加えて、雇用安定性も喪失している。
身の回りで起きる私たちの心を痛める現実に向き合うことは難しい。先日、オフィスへ戻る道すがら、コンビニエンスストアの前の歩道の横にうずくまっている女性がいた。気分が悪そうで、ハンカチで口元を抑えて静かにしていた。声を掛けようかどうかと迷いながら、その瞬間のためらいのまま、他の通行人と同じように心中謝罪しながら通り過ぎる。
私は時々山に登る。もし、登山の途中で、同じ場面に遭遇したら、間違えなく声を掛ける。日中のビジネス街の歩道と、登山道の山道の違いは何なのかと問い直す。同じ趣味を持ち、登山における危険を共有する仲間であるという感情がある限り、そうした場面では、必ず声をかける。
社会でも職場でも、声を掛けるべき仲間は、自らの周りにいる。、日常の営みを通じて、仕事を通じて、自分以外の人の痛みを感じられる感受性くらいは、持ち続けたい。ばかものになってはならないのだ。
今日一日が良い一日となりますように、悲しみや困難に向き合っている方に励ましがありますように。また、良い週末をお過ごしください。新しく始まる一週間が皆様にとって、豊かな一週間でありますように。
注)表題について、茨木のり子氏の詩のタイトル『自分の感受性くらい』を引用。
九段にて 竹内上人