目白からの便り

新社会人へのメッセージ 2024年

街中には、少し前まで学生だったと思われる新鮮な空気をまとった若者が、新しいきっちりとしたスーツを身にまとって、同期入社の仲間であろう少人数の塊で楽しそうに談笑している光景を見かける。入社式という儀式を経て、まだ新入社員研修の真っただ中にいるのかもしれない。談笑する中にも不安と期待が入り混じっている。

 

毎年4月1日の大手飲料メーカーの広告として掲載されるエッセイを楽しみにするのが恒例になっているが、今年は少し違った気持ちでその日の朝刊をめくる。昨年、そのエッセイの書き手の伊集院静さんが亡くなり、同じように掲載さる成人の日のエッセイは、生前に書かれたもので、4月1日の掲載分はさすがに準備されていないのだろうと予感していた。その不安を拭い去るように社会人にむけてのエッセイは静かに新聞の土台にたたずんでいた。そこには、2000年4月に初めて伊集院さんが執筆された原稿だと注釈がされていた。表題は、『空っぽのグラス』だった。

 

『新社会人おめでとう。今日、君はどんな服装をして、どんな職場へ行ったのだろうか。

たとえどんな仕事についても、君が汗を掻いてくれることを希望する。冷や汗だってかまわない。君は今、空っぽのグラスと同じなんだ。空の器と言ってもいい。どの器も今は大きさが一緒なのだ。

学業優秀などというのは高が知れている。誰だってすぐに覚えられるほど社会の、世の中の、仕事というものは簡単じゃない。要領など覚えなくていい。小器用にこなそうとしなくていい。

それよりももっと肝心なことがある。それは仕事の心棒に触れることだ。たとえどんな仕事であれ、その仕事が存在する理由がある。

資本主義というが、金を儲けることがすべてのものは、仕事なんかじゃない。仕事の心棒は、自分以外の誰かのためにあると、私は思う。

その心棒に触れ、熱を感じることが大切だ。仕事の汗は、その情熱が出させる。心棒に、肝心に触れるには、いつもベストをつくして、自分が空っぽになってむかうことだ。それでも諸君、愚痴も出るし、斜めにもなりたくなる。でもそれは口にするな。そんな夕暮れは空っぽのグラスに、語らいの酒を注げばいい。』(2024年4月1日 日本経済新聞より)

 

私が入社した1986年の新入社員へのメッセージは、“ゆっくりゆっくり”というものだった。その当時は山口瞳さんが執筆していた。今でもその茶色く風化した新聞の切り抜きを大切にしている。そこには、長いサラーリーマン人生、ヒットも打つこともあるし、エラーもすることもあるが、お酒の一気飲みのようなことはせず、君たち、目の前の仕事に関心を持ち、落ち着いて、着実にやるものだ・・ということが書かれ、共感したことを思い出す。不器用な自分には本当に励みになった。今でも失敗の数は限りなく後悔を重ねる。あの時、こうしておけば、との自責の念に駆られる。そうした時に、「エラーをしてもヒットも打つこともある」というフレーズは今でも心の支えになっている。大切なことは、地道な練習を怠らないことであり、チームを信頼することだ。

 

4月は、新社会人だけでなく、多くの方にとって仕事において転機を迎える時期でもある。私がキャリアを支援した方、関わった方たちもこの4月から新しい挑戦に向き合っている。新しいそれぞれの職場で、緊張の中、息を整えている鼓動が伝わってくる。また、転職ではなく社内の人事発令の示達を受け、辞令を眺め、うれしく感じたり、悔しく感じたり、途方にくれたりすることもあるだろう。しかし、どうか心配しないでほしい、純粋な気持ちで、人や仕事と向き合い前向きに挑み続ける姿勢は、新社会人でも、経験を積んだ方でも、きっと心強い賛同者や応援者が現れるはずだ。40年間以上、人事の仕事をしてきてその法則はゆらぎがないものである。伊集院さんの言葉を借りるなら、キャリアの心棒を持ち、謙虚に誠実に仕事や人に向き合えばすべての出来事は栄養価が高い滋養となり、貴重な経験になって、将来の仕事のターボ付きエンジンとなる。

 

今日一日が良い一日となりますように、悲しみと困難、不安に向き合っている方に希望がありますように。良い週末をお過ごしください。新しく始まる一週間が皆様にとって豊かな一週間でありますように。

 

2024年4月12日  竹内上人

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