今週参加した人事の研究会でインクルージョン(Inclusion)に関するテーマが取り上げられ、興味深く議論の流れを共有する。単語の意味自体は、「包含」や「包括」という意味であるが経営学では、組織に関わる関係者が、その組織機能に主体的に参画する機会を持ち、個々人が持つ経験や能力を、考え方が仲間に尊重され、活かされている状態を目指すことがマネジメントに必要であるという。類似した概念にダイバーシティ(Diversity)があり、多様性の確保、機会均衡の指針として使われるが、インクルージョンは多様性を前提に、多様性の中にその個々が有する様々な個性が組織に含まれ、尊重され、活用されている状態を示すのであろう。
ずいぶん昔になるが、旅行先のスコットランド中部のピトロッホリー(Pitlochry)という村で、今でも鮮明に残る記憶がある。その村の駅で列車を待っていた時、3人のペンキ職人に出会う。駅のホームの側面のブロックに白いペンキを塗っていた。
それが、とても楽しそうなのである。一人はホームの上で安全のために列車の通過を確認する役割、他の2人が、下塗りと本塗りの分担を定め、少し感覚をあけ、並んで白いペンキを塗る。ホームの上の男性は、大きな声で歌いながら、時々線路上を歩きながらペンキを塗る2人に声をかけている。こんなに楽しそうに仕事をする人たちが世の中にいるのかと、痛烈な記憶として刻み込まれた。
大学での講義で日本企業の特徴として、日本的経営のテーマを取り上げる。終身雇用、年功序列、企業別組合、少しづつ時代の環境変化に伴い変化を余儀なくされているが、長期的な視点での心理的安定性を支える雇用保障の概念と、経験年数に基づき支払われ、また職場間のローテーションを人材育成の重要な要素にしていく上での賃金体系の思想は今も根強く残る。これらは、日本企業の成長の源泉ともいわれてきた。
ただ、冷静に考えると、経営計画(戦略)の良質性の有無は除き、「労働提供と支払賃金との間の交換ルール」において、企業はどのように生産性を高めていきたかというと、年功的マネジメントであっても業績は上がる場合もあるし、成果主義をとっても業績は下がる場合もあるという結論に至る。あるいは現在取り組んでいる研究テーマの題材である「集団間の競争」を巧みに組み込んで競争と非競争のバランスを絶妙にとってきたのがその成功のエッセンスだったかもしれない。
人事屋にとって悲しいことに、労働とその対価の賃金交換メカニズムだけでは、生産性の高低の因果関係を解き明かすことができないということになる。ただ、その構造を解き明かそうなどという傲慢さと距離を置きながらも、社会の現象の因果の関係をできる限り実証的に理解することができないかと謙虚に、誠実に、格闘し続けることが大切だと思う。
長期的・持続的な視点で、生産性が高い組織特有の仕組みはどこにあるのか、一方で生産性が改善されない組織には何が欠けているのか。実務を預かる人間にとって、可能な限り、論拠をともなって組織に適した処方性を描かねばならないのであるが、往々にして、その面倒な手順を踏むことを避け、社会に流布される刺激的な出来合いの処方をしてしまう。そうすると症状に適合せず職場の静かなる痛いしっぺ返しをくらうことになる。
あのピトロッホリーのペンキを塗る職人の労働の現場を思い返すと、生産性が高いのか否かという視点を超えて、明らかに労働を楽しんでいる事実があった。先述したインクルージョンが働く仲間の中で機能していた。仲間との協調と、上長の監視を離れ労働の主体性を働く現場にゆだねつつも、仕事に対する倫理観が保たれていることを感じさせる。こうしたメカニズムがマネジメントの要諦なのかと私にとっての人事政策のアイコンになっている。
今日一日が良い一日となりますように、悲しみと困難、不安に向き合っている方に希望がありますように。良い週末をお過ごしください。新しく始まる一週間が皆様にとって豊かな一週間でありますように。
2021年10月29日 竹内上人