今朝の都内は、薄く灰色の雲が見上げる空を覆っている。例年にない環境の中でも桜は見ごろの時を迎える。普段の年であれば日中も夜も桜の名所には多くの人の訪れるのであろう。
桜の時期なると「年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず」*1(唐代詩人 劉希夷:りゅうきい 651-680 「白頭を悲しむ翁に代わりて」の第四節)の詩の一句が蘇る。今から35年以上も前、京都の修学院離宮の近くにある関西セミナーハウスで、恩師である中條毅先生から新入生に語られた言葉であった。中條先生は私の記憶では今年で100歳になるのであろうか、同志社大学最高齢の名誉教授でもある。
今でもその場の空気感とともに覚えているのが驚きでもある。100人ほどが入る大教室で、私はちょうど後方の窓際の桜を眺めるのに都合の良い席に座り、この経験豊富な教師の言葉を雅楽の音色のようにぼんやり聴いていた。
中條先生は、自叙伝である「ウシホから産業関係学への道」の中でご自身の歩みについて、戦時中に海軍の軍人として乗艦されていた駆逐艦の潮(ウシオ/ウシホ)*2からの労働力政策の研究領域である産業関係学の道に進み、その研究に生涯を貫き通した歩みを振り返っている。
中條先生の熱意は、大学を超え企業・経営者団体、労働組合、政治に携わる方へ労働研究の率直な議論の場を押し広げようとしていた。私は学生時代、先生の推薦でその研究機関(当時は、「京都労働経済文化研究会」、現在の「国際産業関係研究所」の前身)で会報の編集などの事務のアルバイトをしながら、「働く」ということを、労働者、経営者、政治・社会の視点から考え、体験する機会に恵まれた。
変わらずに地道にやり続けることから開けてくることがある。どのような職業でも、たとへ、会社や職場は変わっても、一貫した職業の系譜を保持し、長く続けることからにじみ出てくる気概は、知識を超える。仕事におけるキャリアを極める一つのモデルでもある。あれもこれもと、移ろい易い気持ちを深く問いただし、一貫した仕事や理想の積み重ねを繰り返していく姿勢そのものが大切な価値であるのかと心に刻み込まれる。
入学式が順延になったり、入学式自体が取りやめになったり、今春の新入生にとっては不安で焦燥感を感じながら日々過ごしているかと思うと気持ちも痛む。学生ばかりでなく経済の先行きに戸惑う働き手にとっても事態は深刻である。どのような境地にあっても、凡庸としているとすぐに人の一生は老いに至る。目まぐるしくわが身に起こる出来事を、願わくはすべからく滋養として取り込み、しなやかに生きる糧にしたい。
今日一日が良い一日となりますように、困難に向き合っている方に希望がありますように。良い週末をお過ごしください。新しく始まる一週間が皆様にとって、豊かな一週間でありますように。
渋谷にて 竹内上人
*1 「年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず(ねねんさいさいはなあいにたり、さいさいねんねんひとおなじからず):毎年毎年、花は変わることなく咲く。人の世ははかなく変わりやすいのに比べ、自然は変わらないのたとへ」
*2 駆逐艦ウシホ:1930年進水、太平洋戦争の開戦から終戦(1948年解体)までその任を完遂