目白からの便り

「留学生教育学会と労務学会に参加して」 その1

— 実務と研究をつなぐ学びの機会 —

8月下旬、私は二つの学会に参加する機会を得た。一つは信州大学で開催された留学生教育学会、もう一つは東京経済大学 国分寺キャンパスで開催された日本労務学会である。今年は幸運にも両学会で研究発表を行う機会をいただき、発表準備から当日の質疑応答に至るまで、多くの学びと気づきを得ることができた。

今回の留学生教育学会は、豊かな自然環境と学術的伝統を持つ信州大学で開催された。信州大学は旧制松本高等学校を源流の一つとする国立大学であり、教育・医学・工学・農学など幅広い分野で研究実績を有している。また、旧制松本高校時代から文化人を多く輩出したことでも知られ、小説家の辻邦生氏や北杜夫氏、近年では『神様のカルテ』で知られる医師・作家の夏川草介氏などもこの地で学んでいる。豊かな自然と自由闊達な校風の中で育まれた学問の伝統は現在も色濃く残っており、教育をテーマとする学会を開催する場としてふさわしい環境であった。もちろん、お蕎麦など、信州の味覚も抜群である。

今年の私の発表テーマは「日本企業の人事評価指標とEQ能力との整合性分析」である。この研究の出発点はEQそのものではなく、日本企業における人事評価制度への長年の疑問であった。

私は四十年以上にわたり企業の人事制度設計に携わってきたが、日本企業の多くでは、近年導入が進むジョブ型や役割等級制度においても、最終的な昇格・昇進判断には役割基準だけではなく、行動規範やコンピテンシー評価が大きな影響を与えていることを実感してきた。制度上は役割や職務を基準としていても、実際の評価や管理職登用の場面では、「周囲との協働」「リーダーシップ」「主体性」「誠実性」「部下育成力」「責任感」といった行動特性が重視されるのである。

特に管理職選抜の場面では、「成果は優秀であるが周囲との協働ができない人材」よりも、「組織全体の成果創出に貢献できる人材」が高く評価される傾向がある。私は長年、その背景には何らかの共通した心理的能力が存在するのではないかと考えてきた。そして行き着いたのがEQ(Emotional Intelligence:感情知能)の概念であった。

EQ研究の源流は、1990年に心理学者のジョン・D・メイヤー(*1)とピーター・サロベイ(*2)によって提唱された「感情知能理論」である。彼らはEQを「自他の感情を認識し、理解し、それを思考や行動に活用する能力」と定義した。後にダニエル・ゴールマン(*3)によって広く普及したが、学術的にはメイヤーとサロベイが提唱した能力モデルが現在も重要な理論的基盤となっている。彼らのモデルでは、㈰感情の知覚、㈪感情の利用、㈫感情の理解、㈬感情の調整という四つの能力が中心概念とされている。

今回の研究では、日本企業の評価制度に組み込まれているコンピテンシー項目と、メイヤー・サロベイのEQ理論との対応関係を分析した。その結果、多くの企業が評価している行動特性がEQの構成要素と高い整合性を持つことを確認した。

例えば、

協調性やチームワークは「感情の理解」「感情の知覚」
リーダーシップは「感情の調整」、「共感能力」
主体性や責任感は「自己感情のコントロール」
顧客対応力は「共感能力」

と密接に関連している。つまり日本企業は、必ずしもEQという言葉を使っていないものの、実質的にはEQ的能力を人事評価や昇格昇進基準の中で評価している可能性が高いのである。

この気づきは、外国人留学生のキャリア支援を考えるうえでも重要な示唆を持つ。多くの留学生は専門知識や日本語能力の向上に力を注ぐが、日本企業で活躍するためには、それに加えて組織の中で信頼関係を構築し、多様なメンバーと協働しながら成果を上げる能力が求められる。日本的な処遇制度の中のあいまいな表記の行動特性を説明するより、EQの概念を理解してもらった方が外国人留学生には受け入れやすいと考える。

一方で、発表後の議論では、「留学生に適応を求めるだけでなく、日本企業も多様な価値観を受容する必要がある」という意見が多く寄せられた。この視点は私自身にとっても同じ問題意識でもある。従来の日本企業は同質性の高い組織を前提として発展してきた。しかし人口減少とグローバル化が進む今日、高度外国人材の活躍は企業の競争力を左右する重要な経営課題となっている。

留学生側の適応努力と企業側の受容努力。その双方があって初めて、多様性を活かした組織づくりが実現するのであろう。

今回の信州大学での発表を通じて、私は改めて学校教育と人的資源管理が密接につながっていることを実感した。そして実務家として長年抱いてきた疑問を、先行研究や理論を通じて検証することの面白さを再認識した。実務経験によって生まれた問題意識を学術研究によって深め、その成果を再び実務に還元する。この循環こそが、実務家研究者としての私の役割なのであろう。

次回(その2)は、日本労務学会で発表した「戦後日本の賃金・人事制度に内在する集団間競争の機能と公平観」について紹介したい。(次回に続く)

余談になるが、私自身が上述したEQ(感情の知能指数)の概念に気づかされたのは、2000年前後に前職で人事の管理職をしていた時に、管理者研修の構成要素をどのように据えていくかで悩んでいたところ、当時の社長であった故安川英昭(ひであき)氏に諏訪湖を一望する本社の7階の社長室に呼ばれ助言されたことに起因する。私が勤務していた人事部は同じ本社管理棟の4階にあった。当時の社長室の風景と安川社長からの助言は今でも鮮明に記憶に残っている。

今日一日が良い一日となりますように、悲しみと困難、不安に向き合っている方に希望がありますように。良い週末をお過ごしください。新しく始まる一週間が皆様にとって豊かな一週間でありますように。

2026年9月18日 

注)
*1:ジョン・D・メイヤー(John D. Mayer) 米国の心理学者。ニューハンプシャー大学教授。1990年にピーター・サロベイとともに「Emotional Intelligence(感情知能)」の概念を提唱したことで知られる。感情を認識し、理解し、活用し、調整する能力を知能の一形態として捉え、現在のEQ研究の理論的基盤を築いた。特にEQを能力概念として測定しようとした点に大きな特徴がある。

*2:ピーター・サロベイ(Peter Salovey) 米国の心理学者。イェール大学教授を経て同大学学長を務めた。ジョン・メイヤーとの共同研究により感情知能理論を開発し、感情を適切に認識・理解・管理する能力が個人の適応や成果に影響を与えることを示した。現在のEQ研究および社会情動的能力研究(Social and Emotional Learning)の発展に大きな影響を与えている。

*3:ダニエル・ゴールマン(Daniel Goleman) 米国の心理学者・科学ジャーナリスト。1995年に出版した『Emotional Intelligence(EQ こころの知能指数)』によってEQの概念を世界的に普及させた。ゴールマンは、自己認識(Self-Awareness)、自己管理(Self-Management)、社会的認識(Social Awareness)、関係性管理(Relationship Management)などの要素を中心に、仕事やリーダーシップの成果とEQの関連性を論じた。企業の人材開発やリーダーシップ研究に大きな影響を与えている。なお、ゴールマンのモデルはメイヤーとサロベイの能力モデルを基礎としつつ、動機づけや社会的スキルなども含めた実践的・組織的なモデルへ発展させたものである。

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