目白からの便り

紀行 京都 その1 龍安寺を訪ねて 吾唯足知 

先週の週末、 久しぶりに京都を訪れた。同志社大学時代の恩師である石田光男先生が代表をしている国際産業関係学研究所(同志社大学内)の総会に出席するためである。 総会や、その日行われる講演会への出席が目的でもあるが、 せっかくの機会なので、 学生時代四年間過ごした京都市内の探索もしてみたいという目的もある。研究会では、 学習院大学名誉教授の今野浩一郎先生による「同一労働同一賃金」というテーマであった。 ちょうど少し前に今野先生とは都内で会食をしていたこともあり、 お話を伺う時間的な機会が厚くなったのも感謝であった。

同一労働同一賃金という解釈が、その言葉の持つ強い影響力から誤った認識を社会に与えていることに対して、今野先生は危惧されていた。書籍の巻頭でも、「これはまずい」と継承を発せられている。 労働環境の変化にともない非正規雇用の労働条件が極めて不安定になる中で、極端な処遇格差を強いられている実情に関して私たち実務家も その改善策について能動的な行動を起こさないといけないのは正しくあるのだが、今までの日本の1
賃金体系が非合理的なメカニズムであったということでもない。

日本企業のもつ、長期的な雇用慣行や年功的な思想をベースにした能力主義管理、それを反映する職能的給与システムや、私が研究的な関心をもつ企業内での小集団間の競争の機構など優れた人事的メカニズムは多くある。これらの価値あるレガシーを「同一労働同一賃金」という極めて単純な言葉が先行することによって、深刻な人事運用面での誤解を与えてしまっている事に対して 私もとても危惧している。法的な解釈の最低限の考え方を表す言葉として「同一労働同一賃金」という言葉は 意味があるかもしれないが、人事制度全体のメカニズムを否定する言葉でも決してない。

総会に出席する前に、レンタカーで、龍安寺を訪れた。車を走らせ、衣笠にある立命館大学の前を通り過ぎ、この正門前で、住宅情報誌のビラ配りのバイトをした感慨に浸りながら龍安寺を目指す。ここには、有名な石庭がある。15個の石が配置されているのだが、その15個がどこにあるのかを何度も見る位置を変えながら探し数える。石庭が有名なのであるが、裏庭には、水を柄杓ですくい取る円形のつくばいがある。ここには、中心の水を貯める四角い部分を加えると、「吾唯足知(ワレタダタルヲシル)」と読める。「欲張らず、今の自分を大切にしなさいという意味で、足る事を知る人は不平不満が少なく、心豊かな生活を過ごせるとの諭しでもある。

日本的人事が果たしてきた功績を、心静かに評価し、その延長線上で向き合うべきこれからの新しい環境に合わせていく取り組みが実務家には必要なのだと促されている感覚になる。

今日一日が良い一日となりますように、悲しみと困難、不安に向き合っている方に希望がありますように。良い週末をお過ごしください。新しく始まる一週間が皆様にとって豊かな一週間でありますように。

竹内上人

関連記事

新着コラム

  1. クリスマスに思うこと 大丈夫、もう少し時間がある

  2. 障害者のキャリアデザインの環境設計 特例子会社をどう育てるか

  3. 障害者のキャリアデザインの必要性と責任主体

PAGE TOP