『歌島は人口千四百、周囲一里に充たない小島である。歌島に眺めのもっとも美しい場所がニつある。一つは島の頂きちかく、北西に向かって建てられた八代神社である。ここからは島がその湾口に位している伊勢海の周辺が隈なく見える。北には知多半島が迫り、東から北へ渥美半島が延びている。西には宇治山田から津の四日市に至る海岸線が隠見している。』(潮騒1955,三島由紀夫)
先週の金曜日に建設関係の知人数人とこの島を訪問する機会を得た。小説では、歌島(うたじま)となっているが、実際は神島(かみしま)と言う。鳥羽の港から小型の連絡船に乗り島に降り立つと、そこは全く小説の通りの島であった。日常の喧騒や不安定さから遊離した空気に包まれている。
この島のことは、小説だけでなく映画の舞台としてご存知の方も多いと思う。私の世代では、山口百恵と三浦友和が主演した作品(1974)であり、その前には吉永小百合と浜田光夫が共演(1964)している。小説は純愛ものだが、港で働く漁師の姿を眺めていると、人事屋の私からは海で働く人たちの仕事ぶりや、仕事観に思いが広がる。
映画の中では、主人公である貧しい家庭に育つ新治(しんじ)、が島の有力者の娘、初江(はつえ)という女性を慕う、その初江の親である照爺(てるじい)から評される言葉がある。初めは二人の仲に反対していたが、漁師としての仕事ぶりと命がけの仕事への覚悟を知り、照爺はこう語る。『男は気力や、気力があればええのや。この歌島の男はそれでなかいかん。家柄や財産は二の次や、そうやないか、奥さん、新治は気力を持っとるのや』
一泊した後、島を離れる港の連絡先の待合室の外壁に、この島の小学校5年生の藤原亜瑚さんが父親にむけて書かれた詩がかけられていた。
『天気の良い日も心配です。なぜかと言うと、じいちゃんも じいちゃんの弟も海で亡くなっているからです。朝お父さんの顔を見るとほっとします。汗だくで漁から帰ってくるお父さん、疲れて網仕事から帰ってくるお父さん、お疲れ様 私のために命をかけて、毎日毎日、頑張ってくれているお父さん 尊敬しています 大好きです』
島を周遊している時に道を尋ねた女子生徒の集団の屈託のない笑顔と応答に素朴な純粋さ感じた。小説や映画の中の言葉に心を打たれるのは、それが真実だからなのであろう。ギリギリまで迫って日常の仕事をしている現場からたくさんの恵みを受けた旅であった。
愛知にある実家に帰宅し、普段使わない和室に島の版画がかけられていることを思い出し眺める。その青白い輪郭にぼんやり幻想的に浮かぶ島の額縁に鉛筆書きで、神島1/100 1991, youichi と記されていた。特段刺激的な観光名所がある島ではないのだが、その版画を眺めながら再び訪れたいという衝動に駆られる。様々な物語が積層された場所は、華やかさはなくとも人を引き付ける。
今日一日が良い一日となりますように、親しい方を亡くされ、特に悲しみと困難、不安に向き合っている方に希望がありますように。良い週末をお過ごしください。新しく始まる一週間が皆様にとって豊かな一週間でありますように。
2023年2月3日 竹内上人