目白からの便り

Essential Worker /エッセンシャルワーカー

今朝の松本は、再び訪れた寒気に包まれているが、朝の日差しの勢いは日に日に強くなってきている。雲の上に突き出た北アルプスの頂上付近はその光を反射している。

ニュースを通じ、”Essential Worker “(エッセンシャルワーカー)という言葉を聞くようになった。私にとっては、耳慣れない言葉であるが、「働き手」を表現する言葉として語感が心地良い。コロナウイルスの対応で、医療や介護、物流や輸送、治安や防災、生活必需品の販売、家庭排出物の収集と焼却、電気・ガス・水道等の社会インフラの仕事を担っている「働き手」に敬意を込めて表現する明るい言葉である。

先日、これらの仕事をしている知人に同じように、その感謝の気持ちとともに投げかける。気恥ずかしく思うが、自分の仕事を社会が必要としてくれていると直感的に感じるという。この言葉を投げかけられ、日常の仕事の価値に気づかされ、働く職場へ出向く自らの背中を押されるのだと。

研究社の新英和中辞典を開いてみる。私は考えながらその言葉の意味を探る時、紙の辞書をめくる。
“essential”とは「欠くことができない」、「必須の」、「なくてはならないもの」と書かれてある。そこに添えてある引用例文も興味深い。Sleep and good food are essential to Health (睡眠と栄養は健康にぜひとも必要だ)/ It is essential that we should act quickly(我々が直ちに行動を起こすことが肝要だ)。引用例文と和訳の言葉の選出に編者の想いを感じ、語感を刺激する。辞書のその上の行に目を移すと、”essential” ラテン語の「存在すること」の意。と記され、訳語は「本質」、「真髄」と記されている。

「エッセンシャルワーカー」と世間で表現されている職種が、私たちの日常生活において欠くことができない本質的な機能であることに疑う余地はなく心からの敬意を感じる。一方で、直接的に生命や生活インフラを支える仕事以外に従事している「働き手」の気持ちに想いは広がる。

働く自由を制約され、孤立する中でも、自らに課せられた役割を、自宅の食卓の片隅で、子供の玩具に囲まれたリビングで、家から抜けだし駐車中の自動車の中でと、見えないところで格闘しているあまたの「働き手」の息遣いを感じる。もっと深刻な事態に陥り息をひそめている働き手も多いのだと思う。人間はあまねく相互依存的であり、”essential” なのだと思う。そうゆう戦いの中に私たちは今それぞれの役割を果たすべく存在している。友愛という言葉の大切さを感じる。

今日一日が良い一日となりますように、今まで経験をしたことがない困難に向き合っている方、深い悲しみ向きあっている方に希望がありますように。良い週末をお過ごしください。新しく始まる一週間が皆様にとって、豊かな一週間でありますように。

松本にて 竹内上人

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