目白からの便り

恩師から届いた葉書 100歳の労働

手元にあるレターボックスの中に一通のハガキがしまってある。消印は今から4年前の2018年7月。大学時代にお世話になり、今はもう彼方の世界でゆっくりされている恩師からの葉書である。官製葉書の白い紙面に万年筆で綴られている。達筆な文字が続き、何度も読み直す。しばらく体調を崩していて、年賀状を出せなかった経緯とこれからの勉強に向けた目標について書き記されていた。先生のお年は1920年生まれであり、当時100歳に近い年齢であった。勉強に取り組みたいと書かれた文字に気骨な生き方と研究者としての職業意識の不屈の志を感じる。自分自身が100歳の年齢で、勉強をしたいという気持ちを持ち続けていられるか厳しく問われるようだ。

先生は太平洋戦争を海軍の軍人として戦い、戦後、人事・雇用領域の研究者になり、京都にある同志社大学で労使の関係を学際的に取り扱う産業関係学(Industrial Relations)の専門課程をゼロから立ち上げた。産業社会は人々の様々な形態の雇用・相互依存関係に基づく労働によって成立している。その関係が良好な社会が、良い社会に違いないと話されていた記憶がかすかに残る。

『おい、地獄さ行ぐんだで!』(蟹工船:小林多喜二著)、『五時ごろに雇われた人たちが来て、1デナリオンづつ受け取った』(ぶどう園の労働者のたとえ 新約:マタイ20)

私が、大学の進学先の選択に苦慮していた時に進路の選択に影響を与えた言葉である。若いながらも、労働と賃金(貨幣の配分)の仕組みに興味をもった最初の体験である。蟹工船は、過酷な労働現場の風景であり、ぶどう園の農夫のたとえは、人間の本性と貨幣分配ルールの価値観を問われる言葉であった。不思議な錯覚に吸い込まれるように「働くこと(雇用と労働)」を主題にした勉強をしたくなり、恩師が立ち上げた産業関係学を学ぶ道を選んだ。

入学した大学時代は、先生方と親しく交わることができる規模と企業調査など実践的な学習スタイルが自分に合っていた。葉書を頂いた恩師が尽力された同じ研究領域を有した立教大学との交流も想い出深い。先生には当時の労働組合のナショナルセンターの一つであった全日本労働者総同盟の京都での拠点、京都同盟でアルバイトの仕事を紹介していただき、労働運動の現場を学生ながらも経験できた。事務所は京都市西院の京都労働者総合会館の5階、同じ建物の4階には、革新系の日本労働者総評議会(総評)があり、労働運動自体も左右両派で別々に活動していた。また、時々依頼された書籍の原稿のタイプ打ちを通じて、「社会科学の研究者とは、こうした文章を綴るのか」と学んだ。

恩師が立ち上げた産業関係学の組織は次の世代の研究者に引き継がれているが、100歳に迫る葉書に綴られた「勉強に取り組みたい」という言葉は、最後まで与えられた自らの領域と格闘していく気迫を通じ、私自身が、自分に与えられた場でのこれからの働きの覚悟を問いかけられる。

今日一日が良い一日となりますように、悲しみと困難、不安に向き合っている方に希望がありますように。良い週末をお過ごしください。新しく始まる一週間が皆様にとって豊かな一週間でありますように。

2022年7月1日  竹内上人

 

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