目白からの便り

雌伏の時

今朝の伊勢は薄い雲に少し覆われながらも青空が広がっている。3月の早朝とは思えないあたたかな空気に包まれる。今年の桜も例年以上に早く咲きそうとのことである。

私が大学4年生、就職活動をしていた1985年9月に為替調整を国際的に連携する「プラザ合意」が行われた。その後、急激な円高に為替が誘導され「円高不況」に突入した。入社は1986年4月であったが、その後円高による輸出産業の深刻な環境の変化の中で1987年ごろから生産数量が減少し、配属された腕時計の工場では一斉休業が行われるようになった。

腕時計工場の製造ラインが止まり、大規模に人材の再配置が行われた。私は新米の人事担当者だったのだがかなり深刻な状況になっていることが理解できた。経験豊富な工場長の補佐として、配置転換や異動のための面談補佐を事務方として行っている場面の記憶が鮮明によみがえる。

ある面談で、製造減少にともない工場部門から他職場に配置転換が予定されている女性工員が、慣れない仕事に携わることは望まないこと、また、なぜ自分が異動しないといけないか、上司や同僚に対する不平を延々と語っていた。その時、普段温厚な工場長が凄まじいばかりの叱責をしたことを覚えている。会社が厳しい局面に立っているときに自分のことだけ考えるのではなく、組織や同僚のために何ができるかを考えるべきであると本気で怒っていたことを今でも覚えている。

また、直属の総務部長は人情味深い方であった。彼は、当時は許されていたタバコを吸うことができる通路エリアで、新人の私をつかまえて、危機的な状況に直面した時こそ人事に携わるものは、とにかく落ち着いて、平然と、にこやかにしていることだ。できるだけ会社に住職のように居て、どっしりと構えていることが大切なんだと。

その後、政府の低金利政府もあり、1988年頃から一転してバブル景気に突入し、大量採用時代に突入する。「雌伏」と言う言葉がある。力を養いながら、次に向けて力強く踏み出していくために力を貯める姿勢である。

今世界で起こっている様々な出来事は歴史的に見ても記憶に残る環境変化になると思う。こうした時にどのように組織に対し、同僚に対し向き合うべきかという事はとても大切な経験になる。自分が主体的にできること、仲間を支えること、そうした気遣う気持ちの持つ時間を少しでも長く保持すること、そうした姿勢が問われる時なのかと35年前の出来事を思い返しながら週末を迎える。

今日一日が良い一日となりますように、深い悲しみと困難、不安に向き合っている方に希望がありますように。良い週末をお過ごしください。新しく始まる一週間が皆様にとって、豊かな一週間でありますように。

伊勢にて 竹内上人

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