目白からの便り

恩師から届いた葉書 100歳の労働

今朝の伊勢は青空と雲のコントラストに覆われている。朝方に雨が降ったのであろう、路面が少し水に打たれている。今日も日中は梅雨の湿度と暑さを楽しむ一日となりそうである。

今週のはじめ、自宅に大学時代の恩師から葉書が届いた。官製葉書の白い紙面に万年筆で綴られていた。達筆な文字が続き、何度も読み直す。しばらく体調を崩していて、年賀状を出せなかった経緯とこれからの勉強に向けた目標について書き記されていた。先生のお年は1920年生まれであり、もう100歳に近いが、勉強に取り組みたいと書かれた文字に気骨な生き方と研究者としての職業意識の不屈の志を感じる。

先生は太平洋戦争を海軍の軍人として戦い、戦後人事・雇用領域の研究者になり、京都にある同志社大学で産業関係学(Industrial Relations)の専門課程をゼロから立ち上げた。産業社会は人々の様々な形態の雇用・相互依存関係に基づく労働によって成立している。その関係が良好な社会が良い社会に違いないと話されていた記憶がかすかに残る。

『おい、地獄さ行ぐんだで!』(蟹工船:小林多喜二著)、『五時ごろに雇われた人たちが来て、1デナリオンづつ受け取った』(ぶどう園の労働者のたとえ 新約:マタイ20)
私が、大学の進学先を苦慮していた時に進路の選択に影響を与えた言葉である。若いながらも、労働と賃金(貨幣の配分)の仕組みに興味をもった最初の体験である。蟹工船は、過酷な労働現場の風景であり、ぶどう園の農夫のたとえは、貨幣分配ルールの価値観を問われる言葉であった。不思議な錯覚に吸い込まれるように「働くこと(雇用と労働)」を主題にした勉強をしたくなり、恩師が立ち上げた産業関係学を学ぶ道を選んだ。

入学した大学時代は、先生と親しく交わることができる規模と企業調査など実践的な学習スタイルが自分に合っていた。卒論の主題になった八幡製鉄所の賃金調査の時に、当時の書記次長の方からの強烈な教訓も刻印された。先に葉書を頂いた恩師が尽力された立教大学との交流も思い出深いし、先生には当時の労働組合のナショナルセンターの京都同盟でアルバイトの仕事を紹介していただき労働運動の現場を経験できた。また論文のタイプ打ちを通じて、「社会科学の研究者とは、こうした文章を綴るのか」と学んだ。

恩師が立ち上げた産業関係学の組織は次の世代の研究者に引き継がれているが、100歳に迫る葉書に綴られた勉強に取り組みたいという言葉は、最後まで与えられた自らの領域と格闘していく気迫を通じ、私自身の与えられた場でのこれからの働きを問いかけているのだ。

今日一日が良い一日となりますように、特に悲しみや困難に向き合っている方に励ましがありますように。また、良い週末をお過ごしください。新しく始まる一週間が皆様にとって、豊かな一週間でありますように。

伊勢にて 竹内上人

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