目白からの便り

自分の成績表

今朝の九段周辺の空気は、肌に心地よい冷たさである。いつも週末を迎える松本の刺すような冷気は感じられないので、私にとっての都内の朝は一層暖かいと感じるのであろう。依頼された企業で入社5年目の社員を対象にしたキャリアデザインの研修を行うため都内にとどまっている。

今週は、大学の秋季課程の学生の成績評価をつけるのにあれこれ悩みながらの一週間であった。当初定めた大学のシラバスという私の授業計画書では、①出席率25%、②レポート25%、③授業での参画度25%、④プレゼン発表25%という構成で成績をつけることにしている。
授業の構成がグループワークに基本をおいているので③の「授業での参画度」を組み込んでいる。どのようにグループワークに積極的にかかわったのか、まとめ上げる時に傍観者にならずに協力的なスタンスを維持し続けることができたか、結果を急ぐあまりに乱暴なまとめ方をしていなかったかなどという観点で観察してきた。
民間企業の人事評価でいうところの「プロセスの評価」である。そうなると、①の出席率は出勤率、②のレポートや③のプレゼンテーションは実績・成果に該当するのであろう。

先日、大学の同窓と久しぶりに会った。伝統ある日本の製造業で人事部長になりたててであった。話を聞くと、人事考課をまだやっているという。専門的な話になるのだが、「人事考課」とは、能力、業績、勤務態度・意欲を客観的に数値化したものである。その数値データは、昇給や賞与査定、昇進・昇格に反映させる。人を評価する仕組みが二階建てになっている。人事の流行は「人事考課」は廃止し直接、MBO(Management By Objectives) といわれる目標管理に基づき結果成果に着眼した評価や、「役割評価」という職責をかなり細かく定義・市場価格と整合をとり「職務」をベースに評価することが一般的になりつつあると思っていたが、「態度」や「意欲」などの「全人格的評価」に目を向け、かたくなに続けている会社があるのかと感銘をうけた。

企業のブランドは最終的には「私」を超え、「組織という公(おおやけ)」のために上司が見ていないところでも職業倫理に基づき勤勉に働く、良質な人の集団が存在するか否かである。小売りの現場においても、良質なお客様は、かならず販売員の心根の透明性を見抜くものである。そうした、たたずまいのある組織の実現に真剣に向き合っている人事の方に勇気づけられもした。

組織が「働く人」を評価する意味をよく考えてみたい。公平に評価し、適正に賃金を配分するということが基本ではあるが、別の側面は、人に組織が深い関心をもち、「働く人」を勇気づけ、仕事に対するモチベーションを促し、前を向いてもらうように支援していくというメッセージを伝える貴重な場でもある。

大学の事務局の方からメールをいただいた。まだ成績結果が登録されていませんので急いでくだいさいというものであった。大学の授業の評価は一方的で、なぜこの評価をしたのかという個人個人にフィードバックをする機会がない。そんなことはおそらく学生は求めていないのだが、私はとてもやり残し感があるまま成績をつけることに申し訳ない気持ちを感じる。納期に提出できていない言い訳でもあるのだが。事務局の方には本当に申し訳なく、私の今期の評価は納期を守れない点で「不可」なのだと猛反省である。

週末は天候が少し崩れてくる予想ですがお身体ご留意ください。今日一日が良い一日となりますように、また、良い週末をお過ごしください。新しく始まる一週間が皆様にとって、豊かな一週間でありますように。

都内九段にて 竹内上人

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