目白からの便り

紀行 東山魁夷を訪ねて その2                   唐招提寺障壁画と善光寺びんずる尊師

唐招提寺の展示室の解説に目を向ける。1971年、東山魁夷が唐招提寺御影堂の障壁画を描くにあたって、印象に残ったのは、その創立者である鑑真大和上(がんじんだいわじょう 688年~763年)のことを1年かけて学んだということである。鑑真は、5回の渡航の失敗を乗り越え、753年に6回目に日本に渡った信念の方でもある。失敗を乗り越え、視力を失いながらも目的を達成しようとする気概はすさまじい。作品は単に技術だけではなく、その精神において深く掘り下げられることにより、その完成度が高まるのかと感じた。障壁画に描かれた広大な自然世界の風景の写実を越える質感は、そうした段階があってなされるのかと考え、自分の仕事の向き合い方の指南を受けた機会であった。

美術館は城山という少し小高な丘陵地にあるのだが、そこから5分程度下ったところに善光寺がある。宗派を問わないので、多くの参拝者が集まる。特に数え年で7年に一度行われる御開帳の年の賑わいは格別である。コロナの影響で、一年延期になったが、昨年行われた。

善光寺の境内は、平日の夕方時こともあって、参拝する人影もまばらであった。参道の中央に位置する巨大な香炉から出される煙を身体にかけ湯のように浴びせる。なにかご利益があるのではとの誘惑に駆られてしまう。壮大な威容を誇る本堂はひんやりとした空気に包まれていた。本堂に入るとすぐに、びんずる尊師と対面した。ご存じの方も多いかと思うが、このびんずる大師は今年の4月に盗難にあった。善光寺がある長野市から車で1時間半ほど離れた松本市内で発見され元の場所に安置されたのであるが、結構な大きさと重量があるこの像を誰からも咎められなく、どのように持ち出したのかと不思議に思う。

このびんずる尊師の像は、今から300年前以上前に作られ、病気や災いの身代わりになってくれると言い伝えられ、多くの参拝者によって、像のいたるところを参拝者に触れられ、凹凸がなく滑らかな像になっている。私も身体の気になるところを触れてみる。最初は遠慮がちに、そのうちどこもかしこも触れまくり、自分自身でも節操がないことだと反省する。

仕事でも無意識に誰かにややこしい問題の解決をあれこれと丸投げしているのではと自らを省みる。びんずる尊師は、やはり像であって、生身の人間にはきっと限界もあるだろう。人に何かを委ねるときには、凹凸がなくなったびんずる尊師のことを思い返そうと思う。

今日一日が良い一日となりますように、悲しみと困難、不安に向き合っている方に希望がありますように。良い週末をお過ごしください。新しく始まる一週間が皆様にとって豊かな一週間でありますように。

竹内上人

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