『服はしょせんうわべだと人は言う。その人の現実を繕い、ときには偽るものだと。服ごときに人生のすべてを注ぐのは愚かなことだ。が、服は、人を支えもする。受け入れがたい現実を押し返すため、はねつけるためにも服はある。そうした抵抗、もしくは矜持を人はしばしばその装いに託す。服は折れそうな心をまるでギブスのように支えくれる重要な装備でもあるのだ』。数年前に掲載された新聞のコラムの切り抜きが連用日記からこぼれ落ちる。
私の顧客企業にはファッションやジュエリーの業界が多い。それ故、多くのブランドの企業人事の方と知り合うようになった。今まで私の人生の中で、足を踏み入れたことのないラグジュアリーブランドの店舗も訪れたり、丁寧に案内もいただいたりした。また、多くのご自身のキャリアの節目にあるファッションやジュエリーの仕事に携わる方とお会いもした。その機会を通じ、それぞれの方からファッションに対する深い想いとか、人生の中での位置づけなどについて教えてもらうことが多くあった。高価な服であっても、作業服であっても、大切なことは、どのような想いで、それを身にまとうかである。また、どのように丁寧に扱い、場面に応じて、正しく装うかでもある。会社が制定する制服がある場合は、その制服がどのようなデザインであるか、QCDS*を支える上でどのような機能を完備しているかも極めて重要である。
服についた香りもしかりだ、服には、仕事を通じて染み込んだ匂いがある。それぞれの服にその人の仕事を通じての記憶としての匂いがある。私にとって、記憶の中の服に染み込んだ想い出の匂いは、切削や旋盤の工場から漂うオイルのほのかな香りであった。
私は製造業で人事のキャリアをスタートした。入社してすぐに半年間、製造現場へ現場実習にでた。腕時計工場の回路実装、コイル巻き、ムーブメント(駆動体)組立、外装組立、出荷検査、冶具・工機職場と、工程ごとの職場で働いた。そして、現場の作業長や班長、先輩・同僚の方から様々なことを学んだ。5S(整理、整頓、清掃、清潔、躾)・3定(定位、定品、定量・数)といったモノづくり職場の絶対順守の黄金規律も身につけさせられた。その一方で、仕事の後に飲みにも誘ってくれた。「酒の一滴は、血の一滴」、「酒の量は、仕事の量」だと容赦なかった。皆、私の配属が人事だと知っているから、人事に戻ったら、「俺たち製造現場のことも意識して仕事をしてくれや」、「他の人事の輩(やから)のような人事(ひとごと:他人事)になるなよ」とくぎを刺され、励まされた。私の人事屋としての判断基準の原点は、この原風景にあり、この分厚いモノづくり現場の人材の積層に支えられた。
自分の心を支える服、その服に記憶として染み込んだ香り、これらが、キャリアの原点でもあり、原動力でもある。そして何より、足がすくむような恐怖や困難に立ち向かう時の戦闘服でもある。自分の原点の装いと香りを振り返る週末にしたい。
今日一日が良い一日となりますように、悲しみと困難、不安に向き合っている方に希望がありますように。良い週末をお過ごしください。新しく始まる一週間が皆様にとって豊かな一週間でありますように。
2022年10月7日 竹内上人
*QCDSとは、品質、コスト、納期・作業リードタイム、安全の意