目白からの便り

苦難や試練から得られる しなやかな強さ

今週、訪れていた会社で、生産性が高い工場、品質が卓越した職場、高度に練度を重ねた技能工、モノづくりの現場で優れた価値を生み出す職場や人物には、その仕事に使う道具に対する深い敬意があるという話題になった。職人が使う治工具の手入れ、頻繁に使う道具は、腰に巻き付けられた道具帯の中から身体と一体化しているかのよう取り出され、スムーズな流れる動作になる。

道具のことを考えると思い出す光景がある。少し前になるが、都内で開催されていた日本刀の企画展を訪れたことがあった。たくさんの名刀が並ぶ展示の一角に日本刀のつくり方の映像が映しだされ興味深く見入った。日本刀というのは、鉄の塊を叩き、平たく延ばすものかと考えていたのだが、そのプロセスは極めて手の込んだものであった。熱し、急冷し、叩いて砕き、重ね合わせ、また叩く、そうした骨の折れる作業の連続であった。こうして手にかけた結果、優れた日本刀が生み出される。その映像を観ながら、人が成長する過程を考えていた。

苦難や試練の連続の中で、人は時間を積み重ねていく。その過程を通じて、人間的な厚みが出る。外見は同じでも、厳しい局面に遭遇した時に立ち居振る舞いに歴然とした違いが出る。発する言葉から私心を感じさせない。苦難や試練の歴史は、その人の心の中に積み重ねられ沈殿していく。

法隆寺・東大寺の宮大工の西岡常一棟梁の話し(伊丹敬之2007)に木を削る「かんな」の紹介がある。刃には「甘切れ」が大切だと。私は、いまだにその語感が持つ意味をつかみ切れていない。硬すぎては木と衝突し、刃が折れてしまうし、柔らかすぎると、削るという機能自体を喪失してしまう。木それぞれに合わせた「しなやかさ」により、良い削りができるということなのかと。

そうしたしなやかな強さは、その刃のつくり方と日々の丹念な仕事の後の手入れの繰り返しの時間の積み重ねから生まれてくるのだと日本刀の打ちあげる過程をみて感じた。人もたくさんの苦難と試練に向き合う、その時の向き合い方と手入れの仕方が大切なのである。できれば避けて通りたい出来事から、何かを教訓として学び続ける人と、記憶から抹殺する人では、同じ叩かれ方をしても人間としての風味風合いに違いが生じる。人が向き合う苦難や試練は、実は将来の機会に繋がっていると考えると希望ももてる。

今日一日が良い一日となりますように、悲しみと困難、不安に向き合っている方に希望がありますように。良い週末をお過ごしください。新しく始まる一週間が皆様にとって豊かな一週間でありますように。

2022年1月21日  竹内上人

 

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