目白からの便り

わかるということは、苦労することである

早朝の松本の空は梅雨らしく、どんよりとした灰色の雲に覆われ、ミストのような細かな雨が降り続いている。今日も一日、少し肌寒いが、心地よい湿感に親しむ一日となりそうである。

所属している国際産業関係研究所の2021年度の年次総会の案内が届く、ちょうどこの時期に総会が開かれ、毎年楽しみに出席していたが、コロナ禍の関係で、今年もオンラインの開催になるとのこと。資料を整理しながら、過去の講演録の冒頭の記録が目に留まる。ゼミの担当教官でもあった石田光男先生(研究所所長 同志社大学名誉教授)の資料であった。「社会科学における記述の意義」と題されていた。オリバー・E・ウイリアムソン著の『ガバナンスの機構』の翻訳に関するものだった。そこでは、「ミクロ分析の重要性」とか、「心理は細部に宿る」という繰り返し記述されていた。その言葉自身が先生の自分自身の研究スタイルを救われる思いで確認したのではないかと想いを巡らす。

この著者は、組織活動で行われる、「対立、合意、秩序の三つの原理」を含んだ取引のあれこれを、「ささやかに、ゆっくり、少しずつ、確実に」記述することの大切さを述べているという。これは一部の研究者の特権でもなく、我々一人一人が等しくもてる社会に対する向き合い方でもある。

ある事象に対して、正しく事実をとらえて、正確に記述することの困難さは私自身も大学時代に学んだ。その一つが、研究テーマとしての「八幡製鉄の賃金体系の変遷」につながる。製鉄所における賃金の分配ルールの背景にある労使の人間的な取引の事実を学問的に素人の自分が理解できる言葉に労働運動史や配布された情宣ニュースから記述し直すという地道な作業で大学の最終年度を過ごした。再び4月から学習院大学大学院経営研究科に入学し、守島基博先生のゼミに所属し、やりつくせなかったその答えを探す作業に戻る。最も良質で、日本の労使関係の最高峰の団体交渉の場で、何を大切に賃金の配分ルールを決めたのか、その公平観のエッセンスを解きほぐすことは、これからの欧米の模倣ではない日本ならではの人事システムの行く先の道標を示唆してくれるのではないかとのほのかな期待を持つ。

文芸評論家の小林秀雄氏は、「わかるということは、苦労することである」と繰り返し述べている。語感的に気持ちの良い流行の言葉で、概念的にまとめて表現することに逃避しがちなのだが、実は正確にはなにもわかっていないことが多い。勢いは感じるが中身が浅薄なのである。そんな勢いで行動を起こすと博打のようなことになりかねない。

これは企業における技術者のモノづくりでも同じ原理である。優れた技術者はある製品や技術を開発する時に丁寧な実験を納得のいくまで繰り返し行い、素データと格闘し、恐ろしく深い思いでメカニズムの原理を脳から汗が出るほど考えつくし、製品や新要素技術を産み出す。寝ている時に考え、起きては実験という塩梅である。

研究所の総会後、「同一労働同一賃金」というテーマで山田久氏(日本総研)の講演を聞いたメモが残る。ちょうど、先月JSHRM(人事の研究会)の分科会で山田先生の書籍を元に発表することがあり、不思議な縁を感じる。同一労働同一賃金のテーマは、政府が主導する「働き方改革実行計画」の核心的な課題でもある。研究者と異なり、具体的提言を行わなければならない山田先生の立場では、基礎となる労働環境において、深く根付いた職能給的な就社型の日本の雇用慣行を乗り越え、職務給的なヨーロッパ型の雇用システムの要素をどのように安定的に移植するかという実務的な提言が示されていた。山田先生の日本企業や働き手に対する移行プロセスは、ロマンチズムのような愛情があふれ、共感できると配布されていた先生の講演レジュメに私はメモ書きしていた。

今日一日が良い一日となりますように、悲しみと困難、不安に向き合っている方に希望がありますように。良い週末をお過ごしください。新しく始まる一週間が皆様にとって豊かな一週間でありますように。

2021年7月2日  竹内上人

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