目白からの便り

育成のための人事評価

今朝の松本は、薄い雲と青空が絶妙に重なり合う。北アルプスの稜線は、かすむような湿り気で覆われ、気温がこれから上がっていくことを予感させる。昨夜は夕食後、あまり身体を動かしていないこと気づき、少し家の近郊を歩いてみるともう冷気を感じない。そのうち近くの小川に蛍が飛び交うのであろう。

人事制度改定や運用の現場に立ち会うことが多い。そうした人事の話題の中で、覚醒された記憶がある。3年前になるが、外資系企業人事の友人と食事をした時に会話の中で話題になった「ノーレーティング(No Rating) 人事評価の廃止」という試みである。実は、私はこの言葉をこの時、初めて聞いた。自分なりにあれこれと調べてみる。巨大なグローバル企業も長年提唱してきた「9ブロック(業績×能力:Valuesのマトリクス評価)」を手放し、ノーレーティングに移行しているという。

ノーレーティングは、昇給原資の配分を現場マネジメントに委ね人事評価の裁量権を大幅に委譲するというものである。極端に表現すると、職場の昇給原資の総額(キャッシュ)を管理職に渡し、金額配分自体を職場に委ねるということである。確かに刺激的である。従来の人事評価制度における大きな枠組みは、人事部門が査定区分や視点を全社的に標準化し、その枠組みの中で総額人件費の制約との葛藤の中で、絶対評価という旗印を挙げる一方で相対評価の落としどころの間を行き来するものであった。

とてつもなく手間がかかるMBO(目標管理)の硬直的な目標設定とライブ感のないフィードバック面接を現場だけに委ねてきた弊害は、企業人事に長く携わってきた私も深い反省をもつ。内部調整コストが肥大化し、目標設定自体が賃金に直結してしまうことを恐れ、その制度の意思と反しチャレンジングな目標をためらう惨状は打破すべき経営課題でもある。一方で、現場の「人の評価能力の脆弱性」にも何度も遭遇する。管理者の育成支援に経営も人事も手が回らないジレンマに悩む。

「年功賃金」という古ぼけた日本古来の評価制度が散々な目にあって肩身が狭い思いをして久しい。多分に誤解もある。「年功」とは、もちろん年齢給ではなく、歳を重ねるとともに、働く人の技量が高まっていくことを前提としている。上司は、歳とともに部下の経験・技量を高めていく人材育成の重い責任を負わされる。人事評価を働き手を区分する思想で使うのか、働き手を育てることを前提にするのかによって、査定会議での会話の質も変わるのであろう。ノーレーティングの3年後の現状にも興味があるが、それ以上に、部下をどう評価育成すべきかに悩まれている管理者を励ますことに力を注ぎたい。

今日一日が良い一日となりますように、深い悲しみと困難、不安に向き合っている方に希望がありますように。今向き合っている困難を克服する取り組みに灯りがともりますように。良い週末をお過ごしください。新しく始まる一週間が皆様にとって、豊かな一週間でありますように。

2020年6月5日  竹内上人

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