目白からの便り

しなやかな強さの生み出し方

今週から、大学の春季課程が始まった。担当する2つの大学のキャンパスには新しい学生が入ってきて若さの浮揚感が強烈である。また自分が担当した講座の生徒が、インターンシップとしてスイスから来日して、日本で学び、働く留学生や外国人のための就活の仕組みづくりに力を貸してくれる。新しい年度の始まりの様々な出会いに感謝である。

九段のオフィスの向かいには靖国神社がある。付近の北の丸公園や靖国神社の境内をしばしば仕事の合間に歩く。その靖国神社の境内の中に遊就館という博物館がある。少し前になるが、優れた日本刀の企画展が催されていた。日本刀のつくり方の映像が映しだされ興味深く見入った。日本刀というのは、鉄の塊を叩き、平たく延ばすものかと考えていたのだが、そのプロセスは極めて手の込んだものであった。熱し、急冷し、叩いて砕き、重ね合わせ、また叩く、そうした骨の折れる作業の連続であった。こうして手にかけた結果、優れた日本刀が生み出される。その映像を観ながら、人が成長する過程を考えていた。

苦難や試練の連続の中で、人は時間を積み重ねていく。その過程を通じて、人間的な厚みが出る。外見は同じでも、厳しい局面に遭遇した時に立ち居振る舞いに歴然とした違いが出る。発する言葉から私心を感じさせない。苦難や試練の歴史は、その人の心の中に積み重ねられ沈殿していく。
法隆寺・東大寺の宮大工の西岡常一棟梁の話し(伊丹敬之2007)に木を削る「かんな」の紹介がある。刃には「甘切れ」が大切だと。私は、いまだにその語感が持つ意味をつかみ切れていない。硬すぎては木と衝突し、刃が折れてしまうし、柔らかすぎると、削るという機能自体を喪失してしまう。木それぞれに合わせた「しなやかさ」により、良い削りができるということなのかと。

そうしたしなやかな強さは、その刃をつくり方と日々の丹念な仕事の後の手入れの繰り返しの時間の積み重ねから生まれてくるのだと件の日本刀の打ちあげる過程をみて感じた。人もたくさんの苦難と試練に向き合う、その時の向き合い方と手入れの仕方が大切なのである。できれば避けて通りたい出来事から、何かを教訓として学び続ける人と、記憶から抹殺する人では、同じ叩かれ方をしても人間としての風味風合いに違いが生じる。人が向き合う苦難や試練は、実は大切な将来の機会に繋がっていると考えると希望ももてる。

今日はキリスト教の教会歴では、Good Friday(聖金曜日)という日にあたる。そして3日後の日曜日の復活祭(Easter)に続く。キリストイエスが群衆の前に罪人として引き出され、十字架につけられた日である。私はなぜ敬愛してきた弟子にも裏切られながら十字架につけられた出来事にGood Fridayという言葉が冠されたのかがしっくりこなかかったのだが、少しわかったような気がした。試練や艱難は、もう一つの側面として次にしなやかに歩むべき機会を意味しているのだと。

今日一日が良い一日となりますように、また、良い週末をお過ごしください。新しく始まる一週間が皆様にとって、豊かな一週間でありますように。

愛知県高浜市にて 竹内上人

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