目白からの便り

キャリアにおけるアスリートの価値 フーディーの方に触発されて

NHKの番組で、フーディー(foodie)について特集を組んでいるドキュメンタリーを観る機会があった。51歳の日本人で世界各国のレストランに赴き料理を食している人を特集した番組である。フーディーとは、食に強い関心を持ち、美食を追求する人を指す。単なる「グルメ」よりも広義で、食材、料理、レストラン、文化、歴史、さらにはサステナビリティまで含めて、食にまつわるあらゆる側面に情熱を注ぐ人々でもある。評論家やジャーナリストとは異なる立場で、個人の視点から世界中の食を探求する。
この番組の中で、担当のディレクターが取材対象になった51歳のフーディーを称して、アスリートと言う表現を使った。アスリートは、「自分のことを究極のエゴイストだ」という。食べ歩きながら素晴らしい料理人を発見し、応援し続ける理由が、自分がいつまでたってもおいしいものを食べ続けたいという欲望からなのだと彼は言う。自分よりも若い世代のシェフを見出し応援しているのだと。
同行したディレクターが何度か評価の点数をつけてほしいと懇願する場面になるのだが、番組の収録の中でその51歳のフーディーは語る。「シェフに点数などつけられるわけではなく、その意味も価値もないのだと。その瞬間に自分が素晴らしいと感じることが大切なのであって、それは標準的な評価の物差しで測るべきものでもないのだ」と言う。
様々な職業に精通した人を示して「プロフェッショナル」という表現がある。あるいは「その道の達人」という表現もあるだろう。一般的な人事用語であれば、専門家であり、熟練者であると表される。同行したディレクターがこのフーディーを表した「アスリート」という表現は、一般的にはスポーツの世界にある。私はかねてから「ビジネスアスリート」と言う表現を使っていたので共感する。キャリアの中にもアスリートと言う概念はあっても良いのだと考え続けている。
私がアスリートという言葉に刺激されたのは、自身が人事の領域でのアスリートになりたいと願っているからでもある。それぞれの企業が捻出した賃金表を見比べ、その効用を吟味する事はとても楽しい。複雑で、精緻な賃金表が価値があるのではなく、それぞれの企業の中で絶妙なバランスで息づいている賃金表は価値深く味わい深い。その意味で、賃金表についても優劣はなく、点数で評価することもできない。
私自身も究極のエゴイストかもしれないが、それぞれの賃金表を鑑賞しながら、その価値を自分の職業体験の中で撹拌しながら新しく出会った若い世代の人事の人にその想いを語り続けていく事は、結果的に次の世代の人事の担い手を育てていくわずかばかりの貢献につながるのではないかと願う。こうして、これからもささやかなおせっかいを続けているのであろう。キャリアにおけるアスリートも自分の為ではあるが、やはり誰かのために自分の競技を続けていくことにつながる。

今日一日が良い一日となりますように、悲しみと困難、不安に向き合っている方に希望がありますように。良い週末をお過ごしください。新しく始まる一週間が皆様にとって豊かな一週間でありますように。

2025年9月5日

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