先週8月16日、少し時間が空いたので久しぶりに靖国神社へ車を走らせた。この時期、ニュースでは参拝をめぐり騒がしい話題が続くのだが、閉門間際の夕方の時間だったので訪れる人も少なくゆったりとした時間の中で参拝することができた。
靖国神社がある九段下の周辺は私がビジネスを始めた想いで深い場所でもある。当時のオフィスと靖国通りを挟んで静かに佇むこの神社の境内をよく散歩していた。裏には芸術的な池を抱えた立派な日本庭園もある。
起業直後は仕事もなく、時間を持て余し、大変なキャリアチェンジをしてしまったのかと不安の中で過ごしていた。そうした心細い気持ちの中で参拝することが多かった。この場所の由来から自分のことを願うのは気恥ずかしく、戊辰戦争後の英霊に対する感謝の気持ちや前向きに社業に頑張って取り組むことを誓っていた。
戦争について考える時、必ず思い出す風景がある。労働経済学の研究者で、日本企業における人材育成の卓越性について「知的熟練」の視点で鮮やかに描き上げた小池和男先生との会話の場面である。前職の人事の時代に会社にお招きして講演をしていただいた後、会食を松本市内の中町通りにある和食のお店にお招きした。どのような文脈かは忘れてしまったのだが、先生が静かに「民主主義は戦争をしてしまう危険性を常に内在している」と語られた。当時、30歳前後の私にはその言葉の真意を理解できずに、長い間、時々脳裏に覚醒し、問いかけられ思考を支配されることになった。専制的な国家や組織が極端な行為をしてしまうのではないかという理解の枠組みから、先生の言葉の真意を読み解くことはできなかったのである。
人事という仕事をしながら人間の完成度を高める事は、圧倒的に困難であることを痛感している。良質な人間の集団としての集まりであれば、それは実現可能かもしれないが、人間はそこまで良質な粒ぞろいを揃える事は不可能に近い。組織の中で「正しく行うこと」はできても、いかなる場面でも「正しいことを行うこと」の難しさを感じる。
「集団浅慮(グループシンク:Groupthink )」という概念がある。これは、集団での意思決定のプロセスで、個々人の合理的、批判的な意見が抑制され、集団内の同調圧力が高まり、不合理な結論を集団として方向づけてしまうことを意味する。この概念はアメリカの社会心理学者アーヴィング・ジャニス氏1972年に提唱した。小池先生が心配した。集団心理における不安定さはこのメカニズムと連動してるのかといつからか考えるようになった。
いかなる環境においても、他者や少数の意見を敬意を持って受け止め、自ら責任ある行動を取り続けることの重要性を痛感する。こうした組織環境作りは、人事や経営の役割を担う人間が果たすべき大切な使命なのであろう。どのような場面においても「正しく行うこと」ができても、「正しいことを行うこと」は非常に困難を伴う。自らに対する疑念と、他者に対する敬意を常に意識におき続けながら自らを省みたい。
今日一日が良い一日となりますように、悲しみと困難、不安に向き合っている方に希望がありますように。良い週末をお過ごしください。新しく始まる一週間が皆様にとって豊かな一週間でありますように。
2025年8月22日
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