少し前の週末、給油をするついでに、ドライブをしようとお台場にある船の科学館に向かった。科学館自体は2011年から休館中で再開の予定もないらしい。ただ、係留されている初代の南極観測船の宗谷があるとのことで訪れたのである。南極観測船には、幼少期から思い出があった。
「現在の南極観測船は何というか知っていますか」、教室の教壇から小学校の担任が生徒に向け質問する。三階の校庭側に面した窓際の席に座っていた私は、すかさず、「ふじ」だと答えた。「よく知っていますね。それでは、初代の南極観測船の船名は知っていますか、と続けて聞かれた」、私は、得意げに「それは、宗谷(そうや)です」と答えた。私は、図書館から借りた特大版の理科の図鑑に南極探検のことが掲載されていて、子供ながらに南極探検という、探検という言葉にワクワクしながら、何度も眺めていたので知っていたのである。この図鑑には、実際は「探検」ではなく、「観測」だったのであるが、子供の自分には「探検」という言葉で脳裏に刻まれるだけでなく、心躍らされていた。おそらくこの内容と並行して、1911年に南極点に初めて到達したノルウェイーのロアール・アムンセン隊とイギリスのスコット隊の熾烈な競争と子供には強烈な印象の物語が添えられていたからだろう。幼少の自分には、観測でなく生命をかけた探検の一部として記憶してしまった。
南極観測船は、この「宗谷」が初代で1957年から1962年、二代目が「ふじ」で1965年から1983年、三代目が「しらせ(初代)」で1983年から2008年、そして現在が四代目となる「しらせ(二代目)」である。興味が高じて、自宅には、プラモデルの模型の「宗谷」、「ふじ」、「しらせ(初代)」がある。しらせの船名の命名は、個人名称を控えながらも、日本で最初の南極探検を志した白瀬帝国陸軍中将に由来する。
子供心に興味を持ったのは、いうまでもなく、「探検」とか「冒険」とかという未知なる世界に向き合う姿勢に高揚したのである。そのために南極観測船には、さまざまな工夫がされている。通常の世界では経験できない環境を訪問することは、躊躇もするが、未知なる世界へ接合する期待も生じる。そのために、厨房であったり、食堂であったり、風呂であったり、住居空間であったり、船内での構造で様々な準備と備えを周到に行う。このプロセスが、たまらなく心地よい。仕事において、キャリアにおいて、普段の仕事の延長線上では味わえない経験は、その人の探求心を駆り立て想像力を旺盛にし、創意と工夫をもたらす貴重な環境である。時々、普段の生活に「冒険」とか「探検」とかという概念を持ち込み、自分の内面にある探求心に刺激を与えることも大切である。
この「宗谷」であるが、船の歴史も興味深い。「ふじ」と異なり、もともとは1938年に貨物船として進水し、その後、帝国海軍の特務艦として活躍。終戦後は外地残留邦人の引き上げ船として重責を担った後大改装され、1956年から南極観測船として活躍する。係留された「宗谷」は、穏やかな東京湾の中でも、小さな揺れを通じて、まだまだ、海に浮かんでいるという主張を私のような訪問者に伝えてくる。あっぱれ!「宗谷」。
今日一日が良い一日となりますように、悲しみと困難、不安に向き合っている方に希望がありますように。良い週末をお過ごしください。新しく始まる一週間が皆様にとって豊かな一週間でありますように。
2023年9月15日 竹内上人