目白からの便り

自ら感じ 自ら動け

手元に一冊の雑誌がある。標題には『迷える子羊 A Stray Sheep In The World』(2001年11月1日発行)と記されている。私が社会人になって、最初のキャリアで強く影響を受けた方が書いた書籍である。

1年前の6月11日に、多くの方から惜しまれこの世界を去った。大学を卒業して、はじめての仕事を通じて指導受けた方でもあった。享年94歳。実家が長野市内の酒店であったこと、信州大学工学部の前身を卒業され、当時の諏訪精工舎に入社されたことを思い出す。

私の最初の職場は、腕時計の製造工場だった。彼は人間味あふれる人柄で、腕時計のデザインや設計などのスタッフ職の方だけではなく、製造部門の多くの社員から慕われた。彼がよく口にしていた言葉は、「自ら感じて、自ら動け」であった。自分の考えを持ち、どのようにすれば実現できるか、誰と協業すれば道筋が描けるか、指示を待つのではなく、他者に頼らず主体的に行動することを常に示唆されていた。「どうしたらいいでしょうか」と言う言葉は彼の前では決して出すことができなかった。その言葉を発した途端に自分自身が、崖の下に落ちていくような感覚にとらえられた。

何か失敗した時でも、他責にする言動を最も嫌っていた。どのようにこれから取り組みその失敗を挽回するかの意思の方が、彼の価値観では圧倒的に上位であった。「最終的な責任は僕が取るのだから、君らは挽回の為に今何をすべきかを考えることだ」と。

私は、40年ほど前の1987年、事業所があった長野県塩尻市で最も大きなホテルで行われた永年勤続表彰の祝賀会のパーティ会場の光景を今でも鮮明に覚えている。私が最初に勤務した腕時計工場の社員の多くは製造部門で働く方々であった。会社の成長に貢献した先輩の皆さんにとって、立食形式の会合は落ち着かない場であった。そうした出席者の戸惑いの表情を機敏に察知し、会の終盤、彼は、ホテルのスタッフや事務局の私たちにテーブルに置かれた料理を床に並べさせた。床に胡坐で座り込み、車座になって、その長年の労に満面の笑みで感謝を伝える姿と、取り囲む年配の社員の嬉しそうな顔は、今でも鮮明に蘇る。私が初めて見たリーダーシップの原点の光景であった。こんな所作は自分には到底できないと思った。

彼は華やかなスタープレイヤーを好まなかった。いつも社長室のドアが開いた状態であった。そこには相田みつをさんの言葉が額縁に入れられ掲げられていた。

「花を支える枝 枝を支える幹 幹を支える根 根はみえねんだなぁ」

社長室に入る社員が、その額縁を見ながら、自戒し、励まされていた。人材育成は人事屋としてテクニカルな作業であるが、人物を育てると言う事とは、次元が違うことだと若いながらも痛烈に精神の奥底まで沈殿した。

「自ら感じで 自ら動け」

主を失ったこの言葉を、昨年から自分のメールの末尾に記すようになった。彼の人を思いやり、励ます精神とともに、この言葉の意味を、私自身ができるだけ多くの人に伝えたいと願う。

今日一日が良い一日となりますように、悲しみと困難、不安に向き合っている方に希望がありますように。良い週末をお過ごしください。新しく始まる一週間が皆様にとって豊かな一週間でありますように。

2022年6月17日  竹内上人

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