目白からの便り

恩師から届いた葉書を振り返って 社会科学の研究者として100歳の労働

今朝の都内は梅雨らしいどんよりとした空に覆われている。緊急事態宣言が解かれ、都内のオフィスがある渋谷のスクランブル交差点も幾分人の通行が増えたように感じる。若者の路上ライブも久しぶりに見かける。油断せず感染対応の環境と向き合うことになるのだが、中国東莞にいる知人から、コロナ再燃で居住者は毎週PCR検査受けさせられているという。一晩中検査し、48時間で60万人を検査するとのこと。行政対応の仕方の差に驚く。

2年前のちょうどこの時期、昨年亡くなってしまった大学時代の恩師から葉書が自宅に届いていた。思うことがあり、過去の資料や書簡を整理していく中で、その書簡で整理の手が止まった。官製葉書の白い紙面に万年筆で綴られていた。その文面には、達筆な文字が続き、何度も読み直す。しばらく体調を崩していて、年賀状を出せなかった経緯とこれからの勉強に向けた目標について書き記されていた。先生のお年は1920年生まれであり、その当時は100歳に近い年齢だが、勉強に取り組みたいと書かれた文字に気骨な生き方と研究者としての職業意識の不屈の志を感じる。

先生は太平洋戦争を海軍の軍人として戦い、戦後人事・雇用領域の研究者になり、京都にある同志社大学で産業関係学(Industrial Relations)の専門課程をゼロから立ち上げた。産業社会は人々の様々な形態の雇用・相互依存関係に基づく労働によって成立している。その関係が良好な社会が良い社会に違いないと話されていた記憶がかすかに残る。

『おい、地獄さ行ぐんだで!』(蟹工船:小林多喜二著)、『五時ごろに雇われた人たちが来て、1デナリオンづつ受け取った』(ぶどう園の労働者のたとえ 新約:マタイ20)
私が、大学の進学先を苦慮していた時に進路の選択に影響を与えた言葉である。若いながらも、労働と賃金(貨幣の配分)の仕組みに興味をもった最初の体験である。蟹工船は、過酷な労働現場の風景であり、ぶどう園の農夫のたとえは、貨幣分配ルールの価値観を問われる言葉であった。不思議な錯覚に吸い込まれるように「働くこと(雇用と労働)」を主題にした勉強をしたくなり、恩師が立ち上げた産業関係学を学ぶ道を選んだ。

入学した大学時代は、先生と親しく交わることができる規模と企業調査など実践的な学習スタイルが自分に合っていた。賃金調査で八幡製鉄所を指導教官と訪問し、当時の労働組合の書記次長の方からの強烈な教訓も刻印された。先に葉書を頂いた恩師が尽力された立教大学との交流も思い出深いし、先生には当時の労働組合のナショナルセンターである京都同盟での仕事を紹介していただき労働運動の現場を経験できた。また論文のタイプ打ちを通じて、「社会科学の研究者とは、こうした文章を綴るのか」と学んだ。私は大学卒業後、一貫して民間企業での人事畑のキャリアを積むことになるのだが、働き手側の労働を通じて受ける試練や格闘とそこから受け取る小さな日常の達成感の積み重ねへの敬意や働く同僚への友愛をどう表現すべきかといいうことを考え続けてきた。

恩師が立ち上げた産業関係学の組織は次の世代の研究者に引き継がれているが、100歳に迫る葉書に綴られた勉強に取り組みたいという言葉は、最後まで与えられた自らの領域と格闘していく気迫を通じ、私自身の与えられた場でのこれからの働きを問いかけてくる。

2021年6月25日  竹内上人

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