今年は暖かい日が続き、松本城のお堀の周囲に植えられている桜も例年よりも早く満開をとなっている。
週末を過ごす松本は標高が600メートル弱である。松本城の天守閣の最上階が620メートルなので、お城に上るとちょうどスカイツリーの高さにいることになる。市街地から100メートルくらい登ったところに城山公園という市民公園がある。松本城の桜が散るとこの公園の桜の見ごろになる、その奥にあるアルプス公園は、標高が800メートルで、城山公園の桜が散りかけると、アルプス公園の桜が見頃になる。さらに美ケ原高原への登山道の途中にある「広木場」(1580m)には、一本の桜がある。毎年登山シーズンの初めに体を慣らすために5月の連休にこの登山道を登るのだが、そのころ桜が満開になっている。誰もいない山の中に凛として咲き誇る一本の桜の様子を毎年見て、一年の無事を確かめる。このコラムで毎年この時期になると紹介する風景である。今年も同じような予定を果たしたい。
桜の時期なると「年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず」(唐代詩人 劉希夷 651-680)の詩の一句(白頭を悲しむ翁に代わりて)が蘇る。今から40年ほど前、京都の修学院離宮の近くにある関西セミナーハウスで、恩師である故中條毅先生(同志社大学名誉教授)から新入生に語られた言葉であった。今でもその場の空気感とともに覚えているのが驚きでもある。凡庸としているとすぐに人の一生は老いたどり着いてしまう。目まぐるしくわが身に起こる出来事を、願わくはすべからく滋養として取り込み、しなやかに生きる糧にしたい。
『古人復た洛城の東に無く、今人還また対す落花の風、年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず、 言を寄す全盛の紅顔の子、応に憐れむべし 半死の白頭翁』
中條先生は、自叙伝である「ウシホから産業関係学への道」の中で、戦時中に海軍の軍人として乗艦されていた駆逐艦の潮(ウシオ/ウシホ)*からの労働力政策の研究領域である産業関係学(Industrial Relations)の道に進み、その研究に生涯を貫き通した歩みを振り返っている。日本のこの研究領域の創成期に全身の精神を注ぎ尽力した先生であると思う。中條先生からは学生時代、学びの機会、実学の機会など多くの支援を受けた。
変わらずに地道にやり続けることから開けてくることがある。どのような職業でも、長く続けることからにじみ出てくる気概は、知識を超える。職業におけるキャリアを極めるモデルでもある。あれもこれもと、移ろい易い気持ちを深く問いただし、一貫した仕事の積み重ねを繰り返していく姿勢そのものが大切な価値であると心に刻み込まれる。
今日一日が良い一日となりますように、悲しみと困難、不安に向き合っている方に希望がありますように。良い週末をお過ごしください。新しく始まる一週間が皆様にとって豊かな一週間でありますように。
竹内 上人
※「ウシホ」、駆逐艦「潮」は、1931年11月17日に竣工。排水量1,980トン、出力5万馬力、37ノットの超高速艦。終戦時まで残存した特殊駆逐艦は「潮」と「響」のみ(自叙伝『「ウシホ」から産業関係学への道』より)