先週の土曜日に所属するロータリークラブでフォッサマグナと長野県北安曇郡から新潟県糸魚川市を流れ日本海に流れる姫川(一級水系)の下流にある「霞堤(かすみてい:河川氾濫防止の堤防)」についての講演が行われた。コロナ禍でもあり、感染対策に配慮した対面の場とオンラインを活用したハイブリッド方式の工夫が施された。半年以上前から所属するロータリークラブの鉄工業を営む先輩会員と弁護士の先輩会員の想いが発端となり、多くの協力者の支援を得てこの機会が実現した。私は営利を超えた実現までのプロセスで、まさに社会奉仕につながるサーバントリーダーシップの精神を感じていた。
現在コロナ禍の中で多くの方々が不安と困難に対し、懸命な格闘を続けている。現実的には厳しい局面の連続だが、私たちが住んでいるこの地域が、大きな地殻変動が続く地盤に立ちながら、それに伴う自然災害に向き合いながらも、その環境を長い歴史を通じて乗り越えてきた先人たちのことを考えることが、現在直面している困難な環境にも希望をもって対処できる気づきにつながればという想いがこの講演会の企画の背景にあった。
私は、この企画の話を聞くまでは、糸魚川静岡構造線のことは知っていたがフォッサマグナについての知識は浅薄なものだった。フォッサマグマと言葉自体も誤って記憶していた。地殻変動に関することなので、マグナではなくマグマという誤った認識をしていたのだ。フォッサマグナ(Fossa magna)の語源はラテン語で、「大きな溝(Fossa:溝 magna:大きな)」という意味である。日本の主要な地溝帯の一つで、地質学においては東北日本と西南日本の境目となる地帯を指す。中央地溝帯(ちゅうおうちこうたい)とも呼ばれ、ドイツ人の地質学者であるハインリッヒ・エドムント・ナウマン氏(Heinrich Edmund Naumann)によって1855年に世の中に知られるようになった。
最初の講演では、糸魚川フォッサマグナミュージアム館長である竹之内耕先生から、「フォッサマグナ、糸魚川-静岡構造線と地震」と題しての話がされた。2000万年くらい前に日本列島が大陸から地殻変動で切り離され、1500年前に列島の中央部が割れ海になり、そこに堆積物がたまってフォッサマグナが形成されたという日本列島の生い立ちを知る興味深い内容であった。イラスト、航空写真により、フォッサマグナや糸魚川-静岡構造線の全貌を学ぶことができた。今もまだ地殻変動は続き、地質地形の多様化と変化により、この地域が、地滑りや火山噴火、土石流、水害、雪崩、風害による大規模な火災など多くの自然災害と向き合うことになる。(次週に続く)
今日一日が良い一日となりますように、悲しみと困難、不安に向き合っている方に希望がありますように。良い週末をお過ごしください。新しく始まる一週間が皆様にとって豊かな一週間でありますように。
2021年3月5日 竹内上人