目白からの便り

年功賃金

みなさま

今朝の九段の周辺は重い雲に覆われ、小雨が降っている。靖国神社の境内の裏側は、遊歩道の様に周囲を散策できる。都心の中でも深い森の中にいるような錯覚に陥る。境内のちょうど裏手には、日本庭園と茶室がある。小満のこの時期、暦通りの梅雨の走りのような重たい湿度を感じながら歩くのもいい。

3週間前、グローバルに展開する外資系企業人事の友人と食事をした。会話の中で話題になった「ノーレーティング(No Rating) 人事評価の廃止」という言葉が頭から離れず、この間、自分の中でどのようにかみ砕くべきか考えが行ったり来たりしていた。
実は、私はこの言葉をこの時、初めて聞いた。昨今の人事マネジメントの中では話題なのだということだ。自分なりにあれこれと調べてみる。巨大なグローバル企業も長年提唱してきた人事評価システムの「9ブロック(業績×能力:Valuesのマトリクス評価)」を手放し、ノーレーティングに移行している。

ノーレーティングは、昇給原資の配分を現場マネジメントに委ね人事評価の裁量権を大幅に委譲するというものである。極端に表現すると、職場の昇給原資の総額(キャッシュ)を管理職に渡し、金額配分自体を職場に委ねるということである。確かに刺激的である。

従来の人事評価制度における大きな枠組みは、人事部門が査定区分や視点を全社的に標準化し、その枠組みの中で相対評価を促すものであった。

とてつもなく手間がかかるMBO(目標管理)の硬直的な目標設定とライブ感のないフィードバック面接、人事部門による中央集権的な評価分布のガイドラインの強制による弊害は、企業人事に長く携わってきた私も深い反省とともに理解できる。

内部調整コストが肥大化して、企業価値を産み出さない管理工数に四苦八苦させられている評価システムの閉塞感や、MBOによる目標設定自体が賃金に直結してしまうことを恐れ、その制度の意思と反しチャレンジングな目標をためらう惨状は打破しなければならない緊急の人事課題である。

一方で、現場のマネジメントによる「人の評価の脆弱性」にも何度も遭遇した。配置や上司部下の組み合わせによって、評価が180度変化することがしばしば起こる。

本質的な観点で、人を評価する仕組みの意味は何かと考えさせられる。「年功賃金」という古ぼけた日本古来の評価制度が散々な目にあって肩身が狭い思いをして久しい。
多分に誤解もある。「年功」とは、もちろん年齢給ではなく、歳を重ねるとともに、働く人の技量が高まっていくことを前提としている。
つまり、組織や上司は、歳とともに部下ひとり一人の経験・技量を高めていく人材育成の重い責任を負わされる。
「人事評価」を働き手を区分する思想で使うのか、働き手を育てることを前提に組み立てるのかによって、組織における査定会議で交わされる会話の質も変わるのであろう。

私が人事を続けていたら、日本企業にもますます広がる「ノーレーティング」の導入のトップからの問いかけの意向にどう向き合うか、おそらく忖度せず、嫌がられながらも抵抗の立場をとるだろう。
その反面、残骸化した既存の評価システムを早急に断捨離し、経営にとって良質な代替案の導入をいそがなければならない。

今日一日が良い一日となりますように、また、良い週末をお過ごしください。新しく始まる一週間が皆様にとって、豊かな一週間でありますように。

九段にて 竹内上人

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