先日、長野県茅野市を訪れた時、ふらりと駅に隣接する商業施設に立ち寄った。そこには、日本映画の巨匠、小津安二郎監督を記念する展示がされていた。展示されている資料に、かつて小津監督が居を構えた別荘地の地図があった。蓼科湖からさらにビーナスラインを登る別荘地の中に小津監督の住まわれた「無藝荘」がある。地図をよく見てみると、この蓼科の別荘地には俳優の笠智衆さんの別荘、プロ野球の川上哲治巨人軍監督の別荘もあったようだ。
小津監督が世の中に生み出した名作はたくさんあるが、私にとってなじみ深く印象に残る映画は「東京物語」、「麦秋」など、女優の原節子さんが主演する映画である。映画の中に日常生活があり、仕事があり、それぞれのキャリアを通じての一日の営みが過ぎていくのだが、主演する女性の言葉遣いがとても礼儀正しく清々しい
小津監督がはじめて原節子さんを起用した映画、「晩秋」が1949年で46歳の時、「麦秋」が1917年で48歳の時、そして「東京物語」が発表されたのが1953年で50歳の時である。
1963年12月12日、60歳の時に永眠されている。映画のキャリアの原点を築いたのは、14歳の時、アメリカ映画の「シヴィリゼーション」を観て、映画監督を自分のキャリアとして志すようになったという。小津監督は。1923年、20歳の時に松竹キネマに入社し、撮影助手としてキャリアのスタートをきる。そして1927年、24歳の時に「懺悔の刃」で監督としてデビューする。40歳の時に、軍部の報道映画要員としてシンガポールへ赴任をして、そのまま終戦を43歳で迎える。その間、現地で大量のアメリカ映画を観て過ごした。
キャリアの一時期、集中して何か構想を練り、自分がやるべきことを深く考える期間が必要なのだと思う。小津監督の場合、このシンガポールでの赴任の期間、戦況が悪化しつつあるなかで、対戦国であるアメリカ映画を大量に観た経験は、その後の映画監督としてのキャリアに相当な影響を与えたのだと推察する。ストーリーだけではなく、どのような撮影技法を使っているのかということを、何度も何度も繰り返し学んでいたのだろう。
よい事例を学ぶことをベストプラクティスという。そうした経験は自分のキャリアをオリジナルなものにする上で大切なのだ。まさに芸事のいうところの「守離離」の原点である。繰り返し、繰り返し、集中して体験することで、新しく、また独特な着想が芽生えてくるのだと思う。
人生の行く先に戸惑う時、今までの歩みの中で自分自身の琴線に触れた小説や、映画、音楽などの物語性のあるものと静かに向き合う時間をとってみたい。その時間を通じて私たちの精神の根底にある大切な何かを覚醒させるはずである。
今日一日が良い一日となりますように、悲しみと困難、不安に向き合っている方に希望がありますように。良い週末をお過ごしください。新しく始まる一週間が皆様にとって豊かな一週間でありますように。
2025年4月11日
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