目白からの便り

リーダーシップの在り方 その5 非日常性の影響力

リーダーシップを考えるときに、私のリーダーシップの枠組みの中に強烈な印象を刻み込んだ個人的な体験に基づくモデルとなる人物がいる。ちょうど今週末となる6月11日がその方の命日となる。今回、このコラムでリーダーシップについて考えるにあたって、この人物の存在を避けることはできなかった。

私の最初の職場は、腕時計の製造工場だった。彼は人間味あふれる人柄で、腕時計のデザインや設計などのスタッフ職の方だけではなく、製造部門の多くの社員から慕われた。彼がよく口にしていた言葉は、「自ら感じて、自ら動け」であった。自分の考えを持ち、どのようにすれば実現できるか、誰と協業すれば道筋が描けるか、指示を待つのではなく、他者に頼らず主体的に行動することを常に示唆されていた。「どうしたらいいでしょうか」と言う言葉は彼の前では決して出すことができなかった。その言葉を発した途端に自分自身が、崖の下に落ちていくような感覚にとらえられた。

公平でない利己的な部下の言動を遠ざけ、何か失敗した時でも、他責にする言動を最も嫌っていた。私自身も制作していた社内報の進捗報告時に普段、開放されている彼の執務室から居室中に響き渡る声で、強烈に叱責された経験を今でも覚えている。私は明らかにうまくいかない原因を他責にするような言い訳をしていた。

失敗に対して、彼はどのようにこれから取り組みその失敗を挽回するかの意思の方が、彼の価値観では圧倒的に上位であった。「最終的な責任は僕が取るのだから、君らは挽回の為に今何をすべきかを考えることだ」と。すべての混乱と混沌の責任を自己に還流させてしまう彼の姿勢は、安心よりも、彼をがっかりさせたくないという気持ちの方が常に勝っていた。それ以上に驚くほどの好結果で、彼が喜ぶ姿を見たいと思った。

私は、40年ほど前の1987年、事業所があった長野県塩尻市で最も大きなホテルで行われた永年勤続表彰の祝賀会のパーティ会場の光景を今でも鮮明に覚えている。私が最初に勤務した腕時計工場の社員の多くは製造部門で働く方々であった。会社の成長に貢献した先輩の皆さんにとって、立食形式の会合は落ち着かない場であった。そうした出席者の戸惑いの表情を機敏に察知し、会の終盤、彼は、ホテルのスタッフや事務局の私たちにテーブルに置かれた料理を床に並べさせた。床に胡坐で座り込み、車座になって、その長年の労に満面の笑みで感謝を伝える姿と、取り囲む年配の社員の嬉しそうな顔は、今でも鮮明に蘇る。私が初めて見たリーダーシップの原点の光景であった。こんな所作は自分には到底できないと思った。

彼は華やかなスタープレイヤーを好まなかった。いつも社長室のドアが開いた状態であった。そこには相田みつをさんの言葉が額縁に入れられ掲げられていた。

「花を支える枝 枝を支える幹 幹を支える根 根はみえねんだなぁ」

社長室に入る社員が、その額縁を見ながら、自戒し、励まされていた。人材の育成は人事屋としてテクニカルな作業であるが、人物を育てると言う事とは、次元が違う(2003,石田)ことだと若いながらも痛烈に精神の奥底まで沈殿した。非日常的な光景を自然体で演出する資質はどのような体験や学習から身に着けることができるのかということが、理論を越えて人事屋としての関心事の一つとなっている。命日となる明後日の日曜日、彼の記憶を思い返す時間としたい。

今日一日が良い一日となりますように、悲しみと困難、不安に向き合っている方に希望がありますように。良い週末をお過ごしください。新しく始まる一週間が皆様にとって豊かな一週間でありますように。

2023年6月9日        竹内上人

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