部屋の壁に「落穂拾い( Millet 1814-1875)」の小さな絵を掛けてある。『春に種をまき、苗を植えて、雑草を取り、肥料をあげて、あとは神様が注いでくれる雨や陽ざしの風の力を待って、そうやって大切に育てた作物を収穫してくれた人に感謝していただくお米は本当においしい』(E.Shimada. 2016)。労働の対価、恵みとして得られる収穫物に感謝する時期でもあるのだが、この「落穂拾い」の絵には旧約から伝わる様々なメッセージも込められている。農主は、小麦や大麦といった穀物を収穫する時にこぼれ落ちてしまった落穂を拾い集めずに、充分な収穫を得ることができない寡婦や貧農の人たちに残していくべきだと。『畑から穀物を刈り取るときは、その畑の隅まで刈り尽くしてはならない。収穫後の落ち穂を拾い集めてはならない。貧しい者や寄留者のために残しておきなさい。』(旧約レビ記23章22節)
11月12日の土曜日、長野県松本市内にある「あがたの森講堂」で、理事をしている鈴蘭幼稚園の創立100周年祈念式典に出席した。1922年(大正11年)にカナダ・メソジスト教会から松本に派遣されたエドワード・カルヴァン・ヘニガー宣教師によって設立された長い歴史を持つ幼稚園である。式典会場の講堂も、同じ1922年(大正11年)に旧制松本高等学校の講堂として建設された木造洋風建築物であり、100年の時を重ねている。同じ100年前の建物で、創立100周年の祈念式典を行う必然を感じる機会だった。3,000人を超える卒園生を送り出しているとのこと、教育の種をまき、子どもたちが育ち、社会に颯爽と歩みだしていく。一粒の麦のように、一人も地に埋もれさせることなく見守り、救いあげ、幾年も幾年も、絶えることなく育て上げてきた教員の方たちの愛情あふれる歴史の積み重ねである。
世界で最初の収穫感謝日は、17世紀の米国までさかのぼる。1620年9月、英国からメイフラワー号に乗って海を渡った人たちは、到着した土地で新しい仕事を始めた。その年の冬は非常に厳しく、その半数が飢えや寒さで亡くなってしまう。春になり、人々は、昔からそこに住んでいる先住民の人たちに助けられて、土地を耕し、種をもらい、作物を育て秋に収穫を得ることができた。そのことに感謝して最初の収穫感謝(Thanks giving)が行われたといわれている。
誰かのために労働の労苦を惜しまず、そのすべてを我が物とせず、糧を譲り、収穫物を残しておく、こうした精神における良質さを、ひとり一人が直面する現実の厳しい環境の中で堅持するのはなかなか困難を伴うことでもある。それでも、教育にしても研究にしても、あらゆる職業において、労働は自らのためだけにおこなうことでなく、誰かのため、次に続く人たちのために行う価値ある行為でもあるのだという気持ちを持つことによって、良き働き手としての道を外さないのだろう。
今日一日が良い一日となりますように、悲しみと困難、不安に向き合っている方に希望がありますように。良い週末をお過ごしください。新しく始まる一週間が皆様にとって豊かな一週間でありますように。
2022年11月18日 竹内上人