目白からの便り

家事労働についての苦い思い出 専業主婦の報酬

先週末 大学の同じゼミ生の女子の友人から近況交換の電話をもらった。 彼女は 大学卒業後、就職するものの比較的早く結婚のタイミングで退職し、家庭に入り、一般的な表現では「専業主婦」という概念で今日まで至っている。ちょうどこの4月からご子息、全て社会人となり、家庭での重い役割に一区切りがついたのだという。懐かしい会話で、学生時代の記憶がよみがえり、大学のゼミの運営記録を読み返す。古びたコクヨの紙の二穴ファイルにつづられた35年以上も前のゼミの記録がつづられている。学生時代ゼミ長であったこともあり、学習の内容だけでなく、ゼミ合宿や、他大学との交流ゼミ、シンポジウムの企画記録、ゼミの役割分担や、発表テーマの記録が記載されている。よく友人によくそんな昔の資料を今まで持っているのかと驚かれるが、これも性分なのかもしれない。今までのところ、所持し続けていることは、古いアルバムを開くような感覚以外に他者に対して、何も貢献はできていない。

大学の専攻は労使関係であった。彼女の専業主婦の大変さに同調し、自分も家事に対してあまり貢献できていない詫びを彼女にしながら、思い出す光景がある。以前このコラムでも触れたことがある。あるゼミ発表の場で、同じ4回生の女子学生から配偶者控除と家事労働の社会的評価に関する発題があった。家庭内での労働の対価は一体誰が報いるのか、精神的なねぎらいの言葉という道義的な取り繕いではなく、経済的価値としてどのように報いるべきものかということだったと思う。

ちょうど私たちの卒業年度は1986年、前年に制定された「男女雇用機会均等法」が施行された時でもあり、女子の勢いは旺盛である。条文の第一条には、『この法律は、法の下の平等を保障する日本国憲法の理念にのっとり雇用の分野における男女の均等な機会及び待遇の確保を図るとともに、女性労働者の就業に関して妊娠中及び出産後の健康の確保を図る等の措置を推進することを目的とする』と記されている。

男女共同参画白書令和2年版では、「夫婦の家事・育児・介護時間と仕事等の時間の推移」から男女差について、家事労働について、2016年時点で、30歳から39歳年代で、女性が273分、男性が44分と圧倒的に女性に頼っている。どの年代層でも同じ傾向で、男性の家事労働のグラフは、年代別全ての曲線が、グラフの地を這っているほど低い。

ゼミは20人くらいの人数だった。女子が半分を占め、議論は白熱する。女性の自立性、社会進出における機会確保の観点から、家事労働自体の役割分担の前提が女性であるという単純化された構造に立って発言する男子の立ち位置自体が、そもそも許されないのだと糾弾され、男子学生は圧倒的な劣勢に置かれた。

労働力を再生産する拠点となる家庭における様々な価値ある仕事である、調理、洗濯、掃除、育児、地域社会への義務に対する対価はどのように評価されるべきなのか。女性の社会進出を妨げる障害になりうるか否かという議論の前に、「そもそも、君たち男子は、家事を分担する気があるのか」ということを問われていたような空気だったと思う。家事労働は、人間の営みにおいては、基礎となるかけがえのない価値でもあり、男性も女性も共同して果たすべき労働である。

こうした労働は、家庭に中だけでなく、共同体組織としての働く職場にも同様に存在する。一緒に働く同僚が少しでも気分よく、快適に仕事ができるように職場の美化に気を配る、サーバーの中に放置されたデータを効率よく使えるようにひと手間かけて整理する、自らが不在の時にも第三者や後輩が自分の仕事をスムーズに対応できるように作業標準書を常に工夫改善しながら更新していく。これらの仕事は、自分の為でもあるのだが、同僚や組織にむけての行為でもある。職務要件書や目標管理記述書には表現しづらい。また形式的な目標管理(MBO)面接に触れられることも少ない。

職場は社会共同体でもあり、仲間のために汗を流す労働について、どのように評価し、どう報いるのか、適切に対処することは、きわめて自発的にその労を担っている働き手の組織内自尊感情を励まし、職場や組織全体の倫理性を担保する上で、経営や人事の立場にある者の極めて大切な責務でもある。

今日一日が良い一日となりますように、悲しみと困難、不安に向き合っている方に希望がありますように。良い週末をお過ごしください。新しく始まる一週間が皆様にとって豊かな一週間でありますように。

2021年10月22日  竹内上人

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