目白からの便り

試練と向き合う肯定的な価値

昨日、緊急事態宣言が全国に適用され、事態の深刻さを身近なところで感じる。事業経営において影響を直接受ける業種もあるし、じわじわとその恐怖と戦慄を感じている事業者もいる。働き手もその不安や緊張を全身で浴びる。医療や介護、行政職の従事者は献身的にこの局面と昼夜向き合っている。学生にとっても授業開始が遅れ、慣れない遠隔授業で不安の中での新学期と向き合う。また、生活費の重要な収入源であるアルバイトができず就学継続の不安と戦っている学生の心境を想う。

こうした厳しい試練の問いかけにも私たちは、必ず訪れる次の社会機能の回復、経済の成長段階に向けての備えを怠らないようにと自らを鼓舞する。会社であり、家庭であり、どのような規模の組織でも、責任ある立場の人にとっては、構成員の気持ちを感じ、不安を与えず前に進む立ち居振る舞いとリーダーシップの真価が問われる。また、メンバーも同様にリーダーや同僚、家族を支えるフォロワーシップが不可欠である。

何か答えを探すように過去の連用日記を読み返してみる。3年前のこの時期の記述に優れた日本刀の企画展を鑑賞したことに触れていた。

日本刀というのは、鉄の塊を叩き、平たく延ばす単純な工程ではなく、そのプロセスは極めて手の込んだものである。熱し、急冷し、叩いて砕き、重ね合わせ、また叩く、そうした骨の折れる作業の連続である。こうして手にかけた結果、優れた日本刀が生み出される。

試練の連続の中で、人は時間を積み重ねていく。その過程を通じて、人間的な厚みが出る。外見は同じでも、厳しい局面に遭遇した時に立ち居振る舞いに歴然とした違いが出る。発する言葉から私心を感じさせない。試練や苦難の歴史は、その人の心の中に積み重ねられ、深く沈殿していく。

同じページに法隆寺・東大寺の宮大工の西岡常一棟梁の話し(伊丹敬之2007)に木を削る「かんな」の記事が挟んであった。刃には「甘切れ」が大切だと。硬すぎては木と衝突し、刃が折れてしまうし、柔らかすぎると、削るという機能自体を喪失してしまう。木それぞれに合わせた「しなやかさ」により、良い削りができる。

そうしたしなやかな強さは、その刃のつくり方と日々の丹念な仕事の後の手入れの繰り返しの時間の積み重ねから生まれてくる。人もたくさんの苦難と試練に向き合う、その時の向き合い方と手入れの仕方が大切なのであろう。できれば避けて通りたい出来事から、何かを教訓として学び続ける人と、重圧から逃避し、記憶から抹殺する人では、同じ叩かれ方をしても人間としての風味風合いに違いが生じる。

今回の試練と向き合う人たちを同じ、特定の企業や組織を超えて、同じ社会を営む同僚として感じ、この苦難や試練を大切な将来の機会に繋がる希望の為の修練の場であると少しでも笑顔で、前向きにとらえたい。

今日一日が良い一日となりますように、今まで経験をしたことがない困難に向き合っている方、深い悲しみ向きあっている方に希望がありますように。良い週末をお過ごしください。新しく始まる一週間が皆様にとって、豊かな一週間でありますように。

竹内上人

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