今朝の松本は、深い霧に覆われている。美ケ原高原を支える山辺の谷は全く見通せない。遠く眺めると薄い雪で白く覆われている。あの雲は、いつもなら松本市内に降りてきて、同じような粉雪をもたらすのかもしれないが、この濃霧は経験上、今日の透き通るような快晴を確信させる。
今週のはじめ、都内へ向かう松本駅でいつもと異なる空気感を感じた。まず駅員の方が多い。なにか列車の事故でもあったのかと不安になったが、すぐに気づいた。同じように制服を着た中学生の集団も駅員にまして多いのである。複数の集団に分かれて友達を改札の前で待っている。友人を見つけ出すと不安な表情が笑顔になる。その集団ごとに着ている制服が少しずつ異なる。そうか、公立高校の入学試験なのだ。そうしてみると、駅員も出陣する不安に満ちた中学生を応援するかのような気持ちが入っている表情である。
同じように40年前にツメ入りの学生服を着こんだ自分自身の高校の入学試験の光景が鮮明に脳裏を横切った。試験というものは、人生の中でこうも記憶に刻み込まれるものかと驚く。
人によっては、中学への入学の段階で受験する方もいるだろうし、その後大学へ進学する人は大学入試に直面する。社会に入る時にも同じように入社試験や、公務員試験などと人生は試験の連続である。
試験は、企業に入っても私たちを悩ませ、入社後は昇格試験に続く。多くの企業で昇格試験を通じて処遇(賃金)と連動した「格」の評価を行う。毎年あるものではなく、概ね「係長」や「主任」といったリーダー的な役割を担う位置づけの段階と、「課長」などの管理職として経営の補佐層として職場をマネジメントする立場になる時に行われるのが一般的なタイミングである。
企業によっては、役職自体を給与体系上の「格」として処遇体系にダイレクトに連動しているケースもある。それぞれの体系に関しては企業がおかれた経営環境に応じるので、お互い利点も、課題点も内在化する。
次の日曜日から大相撲が始まる。スポーツの世界は企業社会以上に厳しい。前場所の成績によって、新しい場所の格が毎回変わる。その明確な選別が力士の絶えない緊張感と応援するファンの期待を引き出す。それによって、相撲自体の内的な活力を刺激し続けるのであろう。降格する力士も、降格によって自らの鍛錬の欠落を振り返り、返り咲きを誓う。年とともに力量が落ちつつも一つ一つの立ち合いに真摯に向き合い、降格していきながらも「相撲道」という道を究めていく。こうした心根、とらえ方ができれば試験や組織の中の評価も価値があるように感じる。なかなか凡庸な企業人にはそうした気持ちには至らないのであるから力士の精神性は貴いのであろう。
来週には長野県の公立高校の入学試験の発表がある。どのような結果でも将来の人生の糧になって欲しいと願う。40年前の私自身のその時は、悔しくも不合格であったが、その経験から多くの学びを得たと思う。
週末は、春の気配を感じさせる予報です。今日一日が良い一日となりますように、また、良い週末をお過ごしください。新しく始まる一週間が皆様にとって、豊かな一週間でありますように。
松本にて 竹内上人