目白からの便り

年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず 2024年

このコラムで2月より、中小企業の人的資本経営についての連載を続けてきたが、毎年この時期に振り返る機会のコラムがあり、人的資本経営のコラムは少し中断したい。

今年の桜前線も本格的に日本を北上している。今朝の都内は雨模様であるが、例年になく遅く咲いた桜も満開となり、この週末は花見でどこの名所も人で賑わうのであろう。この桜の時期なるとこのコラムでも幾度も取り上げてきている恩師である故中條毅先生(同志社大学名誉教授)エピソードで自らを振り返る。

「年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず」(唐代詩人 劉希夷 651-680)の詩の一句(白頭を悲しむ翁に代わりて)が蘇る。今から40年ほど前、京都の修学院離宮の近くにある関西セミナーハウス(修学院きらら山荘)で、中條毅先生から新入生に語られた言葉であった。今でもその場の空気感とともに覚えているのが驚きでもある。私は一階にある大会議室の後方の広くとられた窓側の席に座っていた。中條先生は100歳まで研究に専念された。人生100年、最後までキャリアを希求し続けた先生である。

凡庸としているとすぐに人の一生は老いたどり着いてしまう。目まぐるしくわが身に起こる出来事を、願わくはすべからく滋養として取り込み、しなやかに生きる糧にしたい。年齢を重ねてきた先生が、大学に入学したての学生を前にして語りかける言葉の心境を、自分自身が先生と同じくらいの年令になり、其の心境に重なり合うことに慣れてきた。

『古人復た洛城の東に無く、今人還また対す落花の風、年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず、
言を寄す全盛の紅顔の子、応に憐れむべし 半死の白頭翁』

中條先生は、自叙伝である「ウシホから産業関係学への道」の中で、戦時中に海軍の軍人として乗艦されていた駆逐艦の潮(ウシオ/ウシホ)*からの労働政策の研究領域である産業関係学(Industrial Relations)の道に進み、その研究に生涯を貫き通した歩みを振り返っている。大学の研究室には先輩が作成したその駆逐艦の模型がまだ有るとのこと。日本のこの研究領域の創成期に全身の精神を注ぎ尽力した先生であると思う。

中條先生からは学生時代、学びの機会、実学の機会など多くの支援を受けた。特にアルバイトとして紹介いただいた「京都労働文化研究会(略 労文研)」の事務局の仕事は、大学での勉強と実社会の交点となった。この研究会は京都の阪急電鉄の西院駅の近くにあった京都労働者総合会館の中にあり、当時の労使協調路線をとっていた保守系右派の労働組合のナショナルセンターである全日本労働総同盟の京都支部(略称 京都同盟)の事務所に居候していた。実業における労使の代表者、大学研究者、民社党(現在は国民民主党にその流れを引き継ぐ)の政治家などから構成され、堅実な産業基盤に基づいた友愛主義に基づく民主産業社会の実現のための関西での研究の場でもあった。私のキャリアの原点は、20歳前後の多感な時期に、労使関係という学問を学んだことと、民主的な労働運動に向き合っている人たちの空気の中で実社会に触れたことがその源流になる。

変わらずに地道にやり続けることから開けてくることがある。どのような職業でも、長く続けることからにじみ出てくる存在感と風格は、知識を超える。職業におけるキャリアを極めるモデルでもある。あれもこれもと、移ろい易い気持ちを深く問いただし、一貫して良質な仕事を試み、積み重ねを繰り返していく姿勢その中から醸成される僅かな成長の積層が大切な価値であると思う。今年も桜の時期に恩師の生涯に触れ、この詩に向き合う度に心に刻み込まれる。

今日一日が良い一日となりますように、悲しみと困難、不安に向き合っている方に希望がありますように。良い週末をお過ごしください。新しく始まる一週間が皆様にとって豊かな一週間でありますように。

2024年4月5日  竹内上人

*「ウシホ」、駆逐艦「潮」は、1931年11月17日に竣工。排水量1,980トン、出力5万馬力、37ノットの超高速艦。太平洋戦争の開戦から終戦(1948年解体)までその任を完遂。終戦時まで残存した特殊駆逐艦は「潮」と「響」のみ(中條先生の自叙伝『「ウシホ」から産業関係学への道』より)

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