目白からの便り

紀行 東山魁夷を訪ねて その1                   美術館に掲げられる系譜から語られること

昨日から、学習院大学の守島基博先生の人的資源管理論のオンデマンドの対談形式の講義の収録の後、長野県長野市を訪れている。キャリアの重要度が、給与や処遇システムだけでなく、自己のキャリアビジョンや価値観、仕事形態などのバランスが重要になりつつあるといった話題に行き着き、自分にとって思考のバージョンアップがされた機会であった。

新しい気づきの余韻に浸りながら、目白からそのまま新幹線で長野市に向かった。今朝は長野市内の宿舎でこのコラムを書く。昨夜降った雨のせいか、市中の道路の路面はしっとりと雨を吸い込んでいる。

長野に到着したのが午後3時ころ、久しぶりに長野県立美術館を訪れることにした。前回来た時から10年以上は経っているかと思う。ここには、東山魁夷の作品が収められている。東山魁夷(ひがしやま かいい)画伯は、1908年(明治41年)7月8日生まれ、1999年5月6日没。彼は、日本を代表する日本画家のひとりであり、優れた著述家でもある。私と誕生日が同じことも親近感を高める。

今週、水曜日の夜に東京渋谷ロータリークラブの会員で横浜国立大学の同僚の先生と食事をしていた時に、この東山魁夷の話題で盛り上がり、彼の代表作である「緑響く」や唐招提寺の御影堂障壁画に関連する作品を観たいという気持ちは一層高ぶっていた。常設展では、所蔵作品が期間によってローテーションされるので、森林の中の湖畔に浮き出される白い馬が描かれた「緑響く」に対面できるとは限らないのであるが、偶然にも6月20日までに常設展示であったため対面することができた。

私は、美術館を訪問するときに必ず心をとらわれる展示の場所がある。そこは作品が展示されている場所ではなく、その画家であり、作家でありの生誕からの生涯の系譜を記したボードである。どこで、幼少期を過ごし、どこで学び、どのような家庭環境であったのか凝視する。おそらくどの作品の前に滞在する時間より長く、その方の生まれから、作品を手掛け、終焉に至る系譜に興味が惹かれる。多くの人を魅せ付ける作品を残した方に共通するのは、すべからく順調な生涯ではなく、苦難や困難の中にある。そうしたいくつかの出来事を当事者の視点に置き換えながら想像することはとても興味深い楽しみでもある。特に自分と同じ年代やその前後はどのように過ごしていたかは、私にとって特別な時間でもある。唐招提寺御影堂の障壁画は、1971年から1982年にかけての作品である。そうすると魁夷が63歳から10年にわたって手掛けた作品ということになる。魁夷の真骨頂の作品制作は私の現在年齢よりもまだ先なのである。彼のキャリアのビジョン、価値観、仕事様式への興味は一層深まる。

今日一日が良い一日となりますように、悲しみと困難、不安に向き合っている方に希望がありますように。良い週末をお過ごしください。新しく始まる一週間が皆様にとって豊かな一週間でありますように。

2023年6月16日        竹内上人

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