目白からの便り

独りで渡れ

みなさま

今朝は伊勢で朝を迎えている。昨日の早朝は突風と雷で迎えたが、今日はおだやかな日になることを望む。

3月に入り、受験も就職活動も大切な時期を迎えている。受験生も就職活動の学生も進路に悩み、限られていく選択肢に希望と恐怖を感じながらの時間が積み重なっていく。新聞の切り抜きを整理していた時、前回の週報で取り上げた数学者の寺田文行先生の記事と一緒に保管されていたもう一枚の切り抜きがあった。当時京都大学で教鞭をとられていた数学者の森毅先生によるエッセイである。こちらも今から30年も前の骨とう品だ。

『京都の東山三条に古風な宿屋があって、そこに一匹の老犬がいた。彼は、旧国道一号線の自動車の間を縫って悠然と横断するのであった。なるべく見通しのよい場所、遠くから渡る姿勢の明らかなのがよい。迷っているそぶりを見せないことだ。急いではいけない。最初から急いでいたのでは、万一のときでも、それ以上急げない。自動車のほうは見ない。じつはひそかに気にしていても、まったく気にしないように見せるのがよい。世の中に自動車など存在するはずがない、そんな気分である。
これは絶対にひとりでないといけない。世の中に、そんな変なのが二人もいるはずがないと思われてしまう。それに、二人でいると、おたがいが注意しあうはずだと、安心されたりする。世間だって、ひとりで渡る気になれば、案外にあぶなくないものだ。むしろみんなでわたるほうがあぶない。みんなで渡ればこわくないと、などと言っているうち、手をたずさえて地獄への道を歩んだりもする。・・・(中略)・・・それでも幸運の女神とともに、受験生に呼びかけたい。ひとりで渡っている気楽さこそ、幸運の女神をひきつける。こわくても、それほど危なくない。』

昨日は、大学の合同就職セミナーの場にいた。工学部が主な対象のセミナーだったが、着慣れていないリクルートスーツに身を包み、明らかに不安そうな表情で、さて自分はどこの企業ブースを訪問しようかと、傍らの友人と会話を交わしている。
受験と同じように最初の就職活動も人生において自分と対峙するとても大切な時間である。自分はどのような職業に向いているのであろうか、果たして、自信をもって仕事を続けていかれるだろうか、職場の上司にこっぴどくしごかれたりしないだろうか、悩みは尽きない。

反面、こんなにも自分について考える機会はそうそう直面するものでもない。どうか、真っ向勝負で自分と対話してほしい。自分の中で端正のとれた論理を構築する絶好の場である。深く考え抜いた人間の言葉は、採用面接でも重厚な空気を面接会場に引き寄せる。そして相手に全体重と体温を通じてその思いが伝わる。私の長い人事屋として経験から比較的短時間で相手の人柄を感じるのはこうしたことが背景にあるのかと思う。

深く自分と対話をする時は、私も独りになった方がいいと思う。雑音がない環境で、可能であれば、だれもいない図書館、森や自然の中で思考することだ。自分の意思で決断した道は苦しくても味わい深い。そして、きっと力強く凛として歩むことができる。

今日一日が良い一日となりますように、特に悲しみや困難に向き合っている方に励ましがありますように。また、良い週末をお過ごしください。新しく始まる一週間が皆様にとって、豊かな一週間でありますように。

伊勢にて 竹内上人

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