今年4月から始まった学習院大学の講義の主題はキャリアデザインである。講義内容を設計するにあたって、キャリアが労働市場で「取引」されるという経済的な活動であると前提とし、キャリアという労働力商品の売り手の視点に加えて、買い手の視点が必要になると考え、経営理論とキャリア理論を合成した講義構成を試みている。加えて、キャリアという商品の提供者である学生が、キャリア提供の経営者として自分自身の感情を適切にマネジメントする駆動エンジンとして「EQ(心の知能指数)理論」を組み込んだ講義構成に仕立てた。
書棚に一冊の古ぼけた文庫本がある。何度となく持ち出され、旅行の時の気まぐれで鞄の中に放り込まれ、道中に付き合わされるので、そのくたびれ方も悲哀が漂う。
「学生に与う」と題された河合栄治郎氏の著作である。河合先生は当時の東京帝国大学の経済学部の教授であり社会政策・労働経済研究の第一人者でもあった。すでに絶版されているようで大きな本屋でも、ネット書店でも探し出せず、かろうじて中古本で求めるしかない。現在入手できるのは電子書籍化されたもの限られる。学生にこうあってほしいという河合先生の願いを込めたものでもあるが、広く働く人にも絶賛された書籍でもある。この本は、1940年6月15日に日本評論社から出版された。太平洋戦争戦時下の統制が厳しくなる中、言論が当時の時代風潮にそぐわないということで、河合先生は1942年に一切の文筆活動を禁止され、43年には出版法違反にて有罪判決、翌44年に亡くなっている。
私は学生との関係に触れる機会や長い休暇で自分の事を考える心の余裕ができると時々この本を想う。その中の第二部「私たちの生き方」の中に組み入れられている「日常生活」の項を読むのが好きだ。
そこに綴られている印象のある言葉にとらわれる。『・・・何よりも大切なことは一定の計画(プラン)を立てて規則正しく生活することである。プランをたてるなどとすると、縛られて窮屈だという人があるが、自分のプランで動いていない人は、多くは他人のプランで動かされているものである。・・・』と冒頭から手厳しい。その後一日の模範的な生活の組み立て方に続く。暴飲暴食をしてはなぜいけないかとか、スランプの時にはどうしたらいいかということにも触れている。経験則に従ったきわめて実用的な手引きなのである。
生涯の仕事をどのように積み重ねていけばよいか、キャリアを設計するということもある意味で窮屈な事でもある。しかしながら誰にも拘束されずに自らの意思をもって歩むということはすこぶる「自由」でもある。自らに課したプランや原理原則に従うことは、実は他人に自由を奪われないということである。窮屈なことも自分を感じる大切な時間となる。
今から75年ほど前、国家のプランにも屈せず、言葉で自由を全うし、学生に語りかける愛情ある責務を全うするために信念をもって格闘した研究者の心意気に深い敬愛の気持ちを感じる。かつて河合栄治郎氏という人物が存在し、53年間の生涯を彼のいうところの自由を堅持し、生き抜いたことに励まされる。自分は到底、河合先生には及びもしないが、社会に出ようとする学生に就職活動という目前のイベントを超えた生涯にわたる職業設計の計画(プラン)を大切にすることを今までの経験をろ過し、抽出した教訓を選択しながら伝えていきたいと願う。
今日一日が良い一日となりますように、悲しみと困難、不安に向き合っている方に希望がありますように。良い週末をお過ごしください。新しく始まる一週間が皆様にとって豊かな一週間でありますように。
2024年5月17日 竹内上人
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