目白からの便り

インドからの留学生から聞く、パール判事のこと

今週の火曜日に私の講義を履修している東京外国語大学の留学生が研究室を訪れてくれた。彼は日本の文化にとても興味を持ちインドに在住の時から日本語を深く学んでいてとても流暢な日本語を話せるようになっている。

インドの話題になった時に私が最初にビジネスを始めた出発点が東京の九段下にあってそこには靖国神社と遊就館が近くにある話をした。彼も何度か訪れたことがあるようで、その会話の中でパール判事(Dr. Radhabinod Pal 1886.1.27.- 1967.1.10.)の話題になった。靖国神社を訪れた方の中には、隣接する遊就館の前に彼の功績を称える碑のこともご存じの方も多いであろう。私も何度かその場所を訪れ彼の碑の前に立って想いを巡らしたことを覚えている。

ラダ・ビノード・パール判事は、昭和21年、極東国際軍事裁判、いわゆる東京裁判において唯一「被告人全員無罪」を主張したインド代表判事である。彼の意見書は「パール判決書」と呼ばれ、国際法の原則に基づき事後法で裁くことの不当性を強く訴えた。「平和に対する罪」「人道に対する罪」は戦勝国が作った事後法であり、国際法に反するのだと。日本では「パール判事」として顕彰され、京都霊山護国神社にも彼の碑が建立されている。

彼は、東京裁判で11人の判事の中でただ一人、被告人全員の無罪を主張した唯一判事である。遊就館の前にある碑には、「時が熱狂と偏見をやわらげた暁には、また理性が虚偽からその仮面を剥ぎとった暁には、その時こそ、正義の女神は、その秤を平衡に保ちながら、過去の賞罰の多くに、そのところを変えることを要求するだろう。」(*1 英文は後掲)。

熱狂の中で自分の価値観を信じて正しく立ち振る舞い続ける事には困難が生じるが、周囲の動向ばかり気を取られていると自分自身を見失うことにもなる。熱狂の中にこそ自分の中の冷静さに心を傾けることが必要でもあるのだろう。

インドの歴史は、インダス文明から現代の民主国家まで、数千年にわたる壮大な歴史を有する。長い歴史の中では、「今その時の事象」はほんの一瞬の出来事に過ぎない。「世の中に絶対というものは無いのだ」という言葉を若い時に通っていた所属する教会の長老の方から教えられた。さまざまな意見に耳を傾けながらも、自分自身の価値観に照らし合わせて冷静に向き合っていく日常でありたい。留学生と話をしていく中で、物事に対する感じ方や価値観にすこぶる共通点があることを感じたひと時であった。

今日一日が良い一日となりますように、悲しみと困難、不安に向き合っている方に希望がありますように。良い週末をお過ごしください。新しく始まる一週間が皆様にとって豊かな一週間でありますように。

2025年11月28日

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